社会福祉法人山口県盲人福祉協会理事長 舛尾政美

著者近影

昭和35年春、山口県立盲学校を出て下関市で三療を開業。3年後生活が落ち着いたので山口県盲人福祉協会に加入し、間もなく青年部長に就任、その後理事となり組織の活動に夢中になりました。

「三療の仕事を忘れるな。頼まれると何でも引き受ける。嫌と言えないのは悪い癖」とよく母に言われたものです。しかしその悪い癖は50年経った今でも直っていません。数年前に茂木先生に「私はそろそろ引退しなければ」と話すと社会の損失だと言われ、結局生活施設部会の長を引き受ける事になってしまい、今ではすっかりのめり込んでいます。

生活施設部会の長として全国の養護盲老人ホームの実態(措置控・定員割・経営難)を知るにつけ何とかしなければと思い、先ず自分の施設で出来る事を考えてみました。職員に有効に就労して貰うための毎日の作業表作りに始まり、国の補助金を受けた太陽光発電システムの導入(建物3棟の屋根にモジュール216枚設置)、入浴用の温水の確保のため太陽熱ソーラーシステム13基設置、用途の多い食堂等の蛍光灯はLEDへ切替等です。しかし、これらの企業努力にも限界があります。もちろん各措置機関・包括支援センター・病院等には働きかけをしていますが、なお現状を打開するに到っていません。ここで、養護盲老人ホームに課せられた制約を緩めて貰うためにはやはり政治力が必要ではないかと考えています。

5月の会館の落成式には私共法人がお付き合いしております元総理の安倍晋三先生にご出席頂き、さらには7月厚労省老健局長に部会長として陳情した際には同行もして頂きました。10月には安倍先生の下関事務所に配川筆頭秘書を訪ね今回の老健局長に陳情した内容を確認すると共に、現時点で厚労省が陳情内容に対してどう動いているのか質して頂く様お願いしました。このように生活施設部会の問題がこれからという時に茂木先生から役員改選で常務理事にと頼まれ、また悪い癖が出て引き受ける事になりました。

10月の常務理事会で杉光園の財源が半年で200万円不足しているとの報告を受けました。かなり深刻な状態にあると思います。私は昭和61年に20年続いた盲人ホームを閉鎖しました。盲人ホームの収入を増やそうとすると近隣の三療業の視覚障害者と営業面でトラブルが生じるためです。ところが茂木先生は深谷市において昨年6月就労継続支援B型事業所として盲人ホームを開所され見事に成功しておられます。

私はこれを試してみようと思い、7月から山口県と交渉を始めました。当初、障害者支援課の課長は難色を示していましたが、「視覚障害者の就労の場を」という私の気持ちを理解して頂けたようで、11月1日開所する運びとなりました。これを成功させ、杉光園の現状を大きく改善する事に繋げていきたい―― 今その思いを強く胸に抱いています。

生活施設部会の養護盲老人ホームの問題と杉光園の問題 ―― この二つの問題解決が、私の常務理事としての大きな宿題となっています。

(著者近影)

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