社会福祉法人日本盲人福祉委員会
東日本大震災視覚障害者支援対策本部事務局長
加藤俊和
(1) 今回の震災の特徴
今回の大震災の犠牲者の9割以上が津波という中で、視覚障害者はどのようにして逃げられたのか。全盲やかなり見えにくい人は、家族か近所の人に助けてもらったと答えている。逆に言うと、津波が押し寄せた地域にいて助けが得られなかった方は犠牲になる可能性が高い、と言える。
震災後8か月たった今でも障害者の犠牲者数は明らかになっていないが、障害者団体の会員等については犠牲者の割合は一般の約2倍、という発表もある。しかし、津波の被害の大きかった沿岸部では、視覚障害者団体の会員や点字図書館の利用者は身体障害者手帳保持者の1割程度であり、9割近い方々については、把握できていないという現実がある。単純な推測はできないが、視覚障害で犠牲となったのは百人前後に達していると見られている。
なお、各地での「非常時支援のための要援護者の登録」によって助かった人もいるが、登録数が少なかったこともあって、十分機能していたとは言えない。高齢者を含む近隣支援の「要援護者ステッカー」なども含めた緊急時対策の抜本的な見直しも必要であろう。
(2) 避難所での視覚障害者の生活
避難所で視覚障害者にとって最大の困難はトイレである。ほとんどの避難所は断水となり、バケツの水をひしゃくで流す、ということだけでも大変な状況になる。通常のトイレが使えなくなって、介護用を使って自分で処理することが必要になったり、掘った穴に2枚板だけのトイレなど、非常時のさまざまなトイレへの対応は、状況の変化に対応することが困難な視覚障害者にとって、人間の尊厳に関わるような状況に追い込まれてしまうことさえある。
また、避難所で重要な、貼り紙の情報をいつも読んでもらえるとは限らず、弁当の情報すら得られなかったりすることも少なくない。しかも、親しくなった人が先に仮設住宅に移って、困難な状況に追い込まれた視覚障害者も少なくなかった。
なお、福祉避難所が少なかったことも指摘されているが、介護中心で支援者は視覚障害のことをよく知らないため対応も不十分で、視覚障害者施設は遠すぎて、あまり利用されなかったということもある。
(3) 自宅や仮設住宅の問題も
今回、岩手県下で目立ったのが、自宅が半壊でも全壊でもないのに避難所に行かざるを得なかった方々である。集落に1軒しかない"よろずや"的な店が流されると、視覚障害者は生活ができなくなってしまうためである。
また、自宅にとどまっていたり、仮設住宅に移ると、一部を除いて弁当などの支給は得られない。三陸の鉄道が止まり、バスすらない仮設住宅地など、視覚障害者にとって生活の困難に直結する問題が続出している。様々な情報も、「見る資料」ばかりであり、視覚障害者は知ることができないことも多かった。原発の関係でも地図や図表の情報など、視覚障害者には伝わりにくい情報が多いことが指摘されている。
(1) 当初の準備活動
震災の早期支援が必要であることは言うまでもないが、今回の大震災は南北500km以上にもおよぶ範囲の避難所や自宅をガソリンもない中で訪問支援しないといけないことに加え、支援を必要とする視覚障害者を見つけ出すための個人情報の入手が著しく困難になっていることから、その対策から準備をすることが求められた。
それで、当事者と支援者などを束ねる最もふさわしい日本盲人福祉委員会(日盲委)に対策本部を設置することとなり、3県の行政各機関や各団体などと支援準備を進めて視覚障害者リストを準備していった。
(2) 4月、5月の支援
このような場合、「視覚障害者の相談支援のできる専門家」が回って、様々な支援を行う必要がある。東北に唯一のリハ施設を持つ日本盲導犬協会の多くの職員のみなさまと、視覚障害リハビリテーション協会や全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)も含めて、全国からの延べ50名の方々によって、3県の視覚障害者を訪ね回っての支援活動を行った。このときの対象者は、各団体の沿岸部居住者のリストから586人で、手帳保持者の約1割であった。
5月も市町村の職員と同行するなどの形で、必要な方々の支援を続けたが、避難所からの退出も相次ぎ、十分な成果とまではならなかった。
(1) ひっそりと暮らしていた"新たな8割の人たち"
画期的な取り組みとなったのは、6月下旬に宮城県が「支援資料を被災地の1、2級の視覚障害者全員に配付」を行ったことであった。日盲委で資料や要望返信資料の作成を行い、6月17日に宮城県を皮切りに、岩手県、仙台市からも送付された。福島県についても、実施に向けての働きかけを行っている。
◆10月末現在の沿岸部における視覚障害1・2級の被災者数など(括弧内は4月末現在)
項目 | 合計 | 岩手県 | 宮城県 | 福島県 |
---|---|---|---|---|
対象者数(人) | 2,200以上 (586) |
700 (201) |
1,500 (273) |
? (112) |
支援要望者数 | 700以上 | 230 | 470 | ? |
死亡・不明数 | 100? (7) |
? (5) |
? (2) |
10 (0) |
「支援要望者」のほとんどは、4月に私たちが把握しなかった人々であった。40年以上も、ほとんど目のみで生活して来た"普通の人"が急に視覚を失うと、ほとんどの方々は何もできなくなって極端な絶望状態に陥り、家の中でひっそりと暮らす状態が何年も何十年も続く・・・。そのような700人以上もの方々の実態が、初めて明らかになった画期的なできごとと言える。
(2) 半数近い方々が、音声時計の存在すら知らなかった!
「ラジオ」は5〜7割もの方々が切望され、音声時計などを知らない方が要望者数の43%、日常生活用具制度を知らない・使ったことがない方は要望者の56%という、驚くような数字となっていた。
(1) 行政・関連機関は、多くの障害者の実態の把握と支援を
行政各機関は、多くの中途障害者の特性をつかみ、的確に対応すること、そして、各障害を代表する団体も、多数の方々の隠れたニーズを把握して、活動していくことが求められている。
緊急時の避難は、これまでのように「近隣の方々と仲良く」そして「登録を」と言うだけでは、支援の必要な多くの方々の犠牲は防げないことが明らかになった。
「同意」の得られにくい精神障害者や視覚障害者でも今回コンタクトの取れ始めた"8割以上の人々"を救うには、「高齢者を含む緊急時要支援者の所在情報だけは、近隣に開示」のような方法も早急に検討することが必要であろう。
(2) 災害時の個人情報保護に対する準備
まず、行政側は、どのような災害で、どのような状況になれば、いつ、だれ(代理者)が、どのような団体に開示するかの準備を整えておくことが必要である。
一方、開示を受ける団体も、条件を満たす組織の準備と、災害発生後早急に立ち上がるよう、確実な個人情報の扱いの規定などの早急な整備が必要である。
なお、日盲委では東日本大震災から1周年にあたる来年(平成24年)3月11日に、仙台市で「大震災と視覚障害者」をテーマにシンポジウムを開催する。
多くの視覚障害者が利用していた南三陸町志津川病院も全壊