福島県点字図書館長 中村雅彦

写真(写真提供:日本盲人福祉委員会)

東日本大震災では死者が15,000人に達し、行方不明者も4,000人を越えた。福島県でも死者・行方不明者は2,300人を越えた。その大部分は、太平洋沿岸の市町村の海岸に近いところに住んでいた人たちだ。障害者も含まれている。本県では、身体障害者だけでも100人以上の犠牲者を出した。身体障害者の死亡率は障害のない人の1.3倍に当たる。視覚障害者も10人が亡くなった。

しかし、震災後に亡くなる身体障害者も多く、この半年間の数だけ見ても前年比の2倍を越える自治体がいくつかある。中には数倍を越えるところもあり、障害者の震災後の苦しい生活実態を数字で突きつけられた。

あれから一年が過ぎた。視覚障害者は今、どのような生活をしているのであろうか。そして、原発事故から避難してきた視覚障害者たちは長期避難を強いられ、これからどう生きようとしているのか、点字図書館との関わりをまとめた。

点字図書館では、点字図書館を運営している盲人協会と協力して、利用登録者を中心に、生活物資の支援や生活相談などを行ってきた。しかし、点字図書館の利用登録者は650人程度で本県の視覚障害者手帳所持者の1割にも満たないため、利用登録者にこだわらず、県内の視覚障害者全てを対象に支援することにした。

本県は、地震と津波と原発事故の三重の被害を被っている。現在の対象者は、この原発事故からの避難者が大部分である。原発事故は悲惨である。一時立ち入りは認められたものの、自宅から持ち出すことができた物はほとんどないのが現状である。そして、戻るあてもない現状 にある。立ち入りした視覚障害者は、柱が傾き、壁も崩れ、壊れた屋根から雨水が流れ込み、家の中はカビだらけで全壊状態に等しいと話していた。放射線量も高く、場所によっては年間許容量の50倍を超えるところもある。国や県では除染するとか、長期的には放射線量が減少すると聞かされても二度と故郷には戻れないと思っている人が大部分である。

仮設住宅に避難している視覚障害者の生活も悲惨である。仮設住宅は、市街地から離れた場所にあり、交通の便も悪く、周囲に店もないため、外出の機会は少なくなっている。ふらついたりぶつかったりすることも多くなったと聞いている。体を動かす機会がめっきり減ったからである。目の見える家族が一緒なら不安はないが、視覚障害者だけの夫婦は大変だ。現在支援している人たちの中にも、このような夫婦が4組いるが、周囲に支援者はいない。同じ町の仮設住宅でも、かつて近所で交流のあった人たちは誰も近くに住んではいない。一週間毎にヘルパーを予約して買い物や通院はできるが、突然の支援は困難である。

さらに、運動不足とともに心配なのは栄養状態だ。たまに外出する買い物では、レトルト食品やカップ麺、パン類が圧倒的に多い。市や町の保健師からは、野菜や魚や肉類をバランスよく摂るようにとパンフレットが届くが、それは難しい。視覚障害者が使いにくい調理器具もその要因の一つである。

盲人協会では、図書のサービスだけでなく、健康や栄養の問題についても相談を受けている。

明日への生きる希望を持てない人も多い。故郷に戻れない今、次の生活拠点をどこに求めればいいのか答えはない。市や町からも具体的な方向は示されていないが、将来に向けての思いはある。今、私たちができることは、避難している人たちの悩みや願いを聞いて共有してやり、明日への希望が見えてきたら、それを応援することだと思っている。

そのためには、絶えず連絡を取りながら顔を会わせ、結びついている糸が切れないようにすることが大切だと思っている。

写真(写真提供:日本盲人福祉委員会)


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