日盲社協通信 平成30(2018)年11月号(通巻77号) 編集人:福山博   発行人:橋秀治 発行所:社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協) National Council of the Agencies of the Welfare for the Blind (NCAWB) http://www.ncawb.org/ もくじ ぐらつく仕事と災害克服 理事長 橋秀治 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1 第66回全国盲人福祉施設大会を振り返って 常務理事 舛尾政美 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2 イベントに参加して思うこと 常務理事 長岡雄一 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 (特集)第66回全国盲人福祉施設大会 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 未来へあはきをつないでいくために ―― 平成30年度三療セミナー報告 ―― ・・・・・・・ 9 (誌上慶祝会)第15回本間一夫文化賞受賞者は星川安之さん 日本点字図書館  川島早苗 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11 「盲大学生奨学金」ヘレンケラー・サリバン賞受賞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12 全盲老連創立50周年記念式典 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13 30年余も音訳を続けられたことに感謝 日本ライトハウス 音訳ボランティア  片岡珠子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 平成30年度点字指導員講習会報告 点字指導員研修委員会 委員長 大澤剛 ・・・・・・・・ 15 情報化対応支援者講習会報告 ―― 第9回情報機器コース ――  情報機器等研修委員会 委員長 岡田弥 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16 全国ロービジョン(低視覚)セミナーのこれまでとこれから 日盲社協評議員・  日本盲人職能開発センター 施設長 杉江勝憲 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17 素晴らしいアイディアがたくさん! “とっておきのアイディア”コンテスト  共用品推進機構 森川美和 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 点字版選挙公報製作グレードアップ研修会開催! 日盲委選挙プロジェクト  点字版部会点字表記委員会 委員長 渡辺昭一 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19 枯葉が散るごとくレッツゴー事業所の撤退 ―― 日盲社協の社会貢献事業は  どうなるのか ―― 日盲社協レッツゴー事業所 担当理事 橋秀夫 ・・・・・・・・・・・・・ 20 日盲社協事務局だより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21 編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 ぐらつく仕事と災害克服 理事長 橋秀治(たかはし・ひではる)  通勤途上で見る紅葉も色づき、すぐ近くに冬の気配が感じられる頃になった。昨年暮れにロゴス点字図書館を退職し、日盲社協の事務室に職場を移し、もうすぐ1年が経つ。仕事の中身が違い、日々の文書の対応や、あちらこちらの会議に追われたりと、どことなく急かされる感じもした。時には腰が据わらない感じの日が続く日もあった。なかでも、最も気になったのは「レッツゴー事業所」が成長できずに、経済的にお手上げになったことである。  視覚障害者の外出を援助する仕事は、都内はもとより地方からも、会議出席や旅行などで重宝がられたが、数字が伸びず、赤字を背負う日々が続いた。結局、3月の理事会で、「4月から9月まで仕事を継続し、現状を打開できなければ、事業をやめる」ことになった。何人かの利用者から「資金を出すから続けてほしい」と励まされたが、どうにもならなかった。  退職する職員は別の会社での勤務が決まったが、私たちは残念としか言いようがない。4年前の立ち上げ準備のとき、経済的に援助してくださった皆様に深くお詫び申し上げたい。  さて、今年の日本は地震や豪雨など自然災害が頻発した。地震といえば平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災はいまだに記憶に新しい。死者6434人、負傷者4万3792人、住宅被害63万9686棟という大惨事だった。  このとき大阪の日本ライトハウスが、図書館の一部に災害対策本部を設けて、全国から数十人を集めて、神戸市を中心に視覚障害者を救助する活動を行った。このことは、のちに各地で起こった地震被災視覚障害者救援の先駆けとなった。  それにしてもここ数年、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、大阪北部地震、そして北海道胆振(いぶり)東部地震と続いている。そのたびに各地の人々は被災地にいる視覚障害者を励まし、手伝うために出かけてきた。しかし災害が起きるたびに、これを繰り返すのは大きな負担である。  そこで日本盲人福祉委員会は、大きな自然災害に迅速に対応するために、傘下の日本盲人会連合、日盲社協、盲学校長会が力を合わせて、大災害被災視覚障害者支援対策本部を作る準備に入った。  この動きとほとんど軌を一にして、日本ロービジョン学会理事長の加藤聡(かとうさとし)先生が、「視覚障害者の災害に備えた連絡会議(仮称)」の組織化に向けて、日本眼科学会、日本眼科医会などの協力の下、日盲連や盲学校長会、日盲社協など12団体に呼びかけて、11月14日(水)に東京で初会合を行う予定である。  日本にいるすべての視覚障害者の危険を乗り越えられるような、頼もしい対策本部が活動できるような日が待たれる。 第66回全国盲人福祉施設大会を振り返って 常務理事 舛尾政美(ますおまさみ)  平成30年6月21・22の2日間、下関市南部町(なべちょう)の下関グランドホテルにおいて約250人の参加で、標記大会を開催した。  初日は13時から開会式があり、主催者の日盲社協橋理事長と主管法人を代表して私が挨拶した。  研修会1は13時10分から、研修会2は14時40分から、事業部会は16時10分から17時40分、さらに交流会は18時から20時30分に行われた。  研修会1の講師は、下関市立中央図書館前館長の安冨静夫(やすどみしずお)氏で、テーマは「明治維新150年と下関」。研修会2の講師は、日本盲人会連合竹下義樹(たけしたよしき)会長で、テーマは「近代日本における視覚障害者の教育・職業・福祉等について」。事業部会は5部会に分かれて、それぞれの事業計画や要望事項などを協議した。交流会ではふく料理やふくのひれ酒、平家踊りなどを楽しんだ。  2日目は9時から10時半まで厚労省の加藤晴喜(かとうはるひさ)氏を講師に「障害福祉施策の動向について」をテーマに講演会を行い、同時刻に別室では受賞ボランティア懇談会を開催。10時45分からの式典では主管法人を代表して私は次のように挨拶した。  「明治維新150年という記念すべき年に明治維新発祥の地、歴史のまち・海峡のまち下関において、本大会が開催されることは大変有意義なことで誠に喜ばしい限りであります」と述べ、昭和24年の山口県盲人福祉協会発足以来、今日(こんにち)までの歴史を紹介した。この後主催者挨拶があり、続いてボランティアや永年勤続職員などの表彰に移った。そのあとアピールと大会決議を承認して、最後に次期大会を引き受けた北海点字図書館後藤健市(ごとうけんいち)理事長が「来年6月北海道でお会いしましょう」と挨拶し、大会は12時すぎ盛会裏に閉幕した。  各方面に要望する主な事項は次の通り。  点字版・音声版・拡大文字版による選挙公報を発行すること。  点訳者・音訳者の養成を任意でなく必須事業に変えること。  同行援護事業において通所・通勤・通学を認めること。  養護盲老人ホームにおいて措置控えを解消すること。  日常生活用具の内容について市町村の窓口で説明すること。  大会を主管することによって何らかの形で後(のち)に役立つものを残すべく準備を進め、結果的には会館A棟として図書室や研修室等の新築を進めることができた。養護盲老人ホーム春光苑においてはALSOKの機械警備システムを設置できた。特に「認知の入所者」が増え続ける中で警備は容易ではなく、このシステムの設置は大変期待できると思われる。一方、日程の中に下関市の名所等の案内や主管施設の案内を組み入れなかったことはやや悔いが残る。しかし参加者の皆さんが大会前後の時間を活用して、市内の名所や法人の建物など独自に散策されたことは誠に喜ばしいことだった。(山口県盲人福祉協会理事長) イベントに参加して思うこと 常務理事 長岡雄一(ながおかゆういち)  10月6日(土)、7日(日)と2日にわたって、東京都眼科医会主催の「Tokyo Eye Festi -val」が新宿西口広場イベントコーナーで開催されました。この催しは、「目に障害を負った時の不自由さを実感し、疾病や視機能を正しく理解出来るような体験型啓発活動」で、眼科医会が毎年この時期に実施しています。  従来は、医療関係者と企業のみで実施していましたが、今年1月に東京都眼科医会が中心となって東京都ロービジョンケアネットワークが設立され、活動を開始したこともあり、その流れのなかでネットワークに参加している福祉・教育の各団体全体で一つのコーナーを持つこととなりました。  東京のロービジョンケアネットワークは、福祉・教育の分野を6つに分け、一つひとつの分野の代表施設が中心となって、運営をしていますが、今回もそれらの施設が、主にコーナーを担当することになりました。ちなみに、日盲社協関係では、日本点字図書館や東京視覚障害者生活支援センターがそれぞれ用具や訓練の代表施設になっています。  フェスティバルそのものは、すでに回数を重ねていますが、この催しに福祉・教育施設が参加することは、今回が初めて。それでありながら、展示内容等については、施設側に任されていることもあり、ある意味では暗中模索状態ではありましたが、何とかコーナーを作り上げました。イベント全体としては、2日間で3000人近い参加者があり、従来の記録を更新したとのことでしたが、初めて参加した私たちにとっては、手ごたえがあったのかなかったのか、非常に分かりづらい感はありました。ただ、参加された方のアンケートの中に、コーナーをもっと充実させてほしいとの意見があったことは、存在が認知されているのかとも思いました。  この中で非常に気になったことは、「ロービジョン」という言葉への反応でした。会場は新宿駅の構内のような場所であり、何となく立ち寄った方も決して少なくはなかったと思えますが、多くの方が言葉を知らなかったことに、コーナーの担当者一同驚きを隠せませんでした。つまり、「ロービジョン」という言葉がまだ市民権を獲得していないということなのです。これは、イベントに参加し、より多くの一般の方と触れ合ったことから分かった事実であり、別の意味で参加した事の意義を感じた瞬間でもありました。  私達は常日頃、医療と福祉の連携を口にしますが、そこで用いている言葉の浸透度さえ把握していないことは、まだ私達に何かが足りないことに間違いはありません。  一つの殻の中に籠って物事を動かしても、ただあがくだけに終わってしまい、多くの対象者を見逃す結果にもつながりかねません。それを痛切に感じさせるイベントへの参加でした。(東京視覚障害者生活支援センター所長) (特集)第66回全国盲人福祉施設大会  日盲社協第66回全国盲人福祉施設大会が山口県盲人福祉協会を主管法人に、6月21・22の両日、全国から関係者約250人を集めて、関門海峡を見渡せる下関グランドホテルで開催された。  初日には開会式と研修会1と2、それに各事業部会(5部会)と交流会が行われ、二日目には講演会、受賞ボランティア懇談会、表彰式を含む式典が行われた。  歓迎の挨拶で山口県盲人福祉協会舛尾政美理事長は、「本州最西端山口県下関市での開催は10年前の56回大会に引き続き2回目。大会を引き受けることが、私達にとって大きな飛躍になることを願って全力で準備してまいりました」と述べた。  初日の研修会1では、今年が明治維新から150年にあたることから岡本博美(おかもとひろみ)理事を司会進行に、下関市立中央図書館前館長の安冨静夫氏による、吉田松陰と高杉晋作にスポットライトを当てた「明治維新150年と下関」をテーマにした講演が行われた。両者とも若くして明治元年以前に亡くなっているので意外だったが、高杉が幕末の革命家として松陰の教えを実行し、奇兵隊を率いて力ずくで長州藩を尊皇倒幕にまとめ、大政奉還を見ずしてこの世を去るまでの経緯を詳述したものだった。高杉が半植民地化された上海に渡航して衝撃を受けたことは知っていたが、松陰がロシアの軍艦がわが物顔で津軽海峡を通過する姿を見るために、雪が1mも積もる竜飛岬に出向いたという話には感嘆した。  研修会2では、日本盲人会連合竹下義樹会長による「近代日本における視覚障害者の教育・職業・福祉等について ―― 戦後から今日までを中心に」をテーマにした講演が行われた。その要旨は次の通り。  日本の視覚障害者が今日の力を得た源泉は教育の力だ。京都盲唖院の設立から140年が経過したが、盲人の手によって開校した盲学校も多数ある。  昭和23年に日盲連が結成されたがその契機は、@ヘレン・ケラー女史の存在、A岩橋武夫・鳥居篤治郎らのリーダーの存在、B盲学校で教育を受けた人々の団結があったからだ。  戦前の日本の盲教育は素晴らしく、誇るべきものだが、戦後の盲学校教育はとくに近年不安になっている。盲教育の専門性が危ういので、我々は危機感を持つべきだ。地方の盲学校では1学年に生徒が一人しかいないということも珍しくない。  インクルーシブ教育は本質的に間違ってはいないし、推奨すべきものだが、だからといって盲学校を廃止してはいけない。  視覚障害者の職業を語るとき、鍼灸マッサージを抜きには語れないが、失明してもマッサージさえ身に付けていたら生活できるという充分な基盤が今もあるだろうか?  昨日も厚労省に行って「早く視覚障害あはき施術所に対する支援を具体化せよ」と詰めてきた。あはきで自立しようという意欲のある視覚障害者を支えることができなかったら福祉は意味をなさない。  雇用関係にあるところではヒューマンアシスタントという制度があるが、自営業者にはない。ただでさえ晴眼者に患者を奪われている中で、健保取り扱いの手伝いをしてもらえるなら、それだけで前向きになれるというものだ。そのような手立てを尽くして、視覚障害者にとって食える魅力のあるあはきを取り返す必要がある。  一方、三療以外の職業をどうするのか? @世界中を見ても視覚障害者の新職業を開拓したのは中途失明者である。働いていた人が失明して、その職業は視覚障害者でもできると認知される。A何をもってできるというのか。晴眼者のようにできるのではなく、視覚障害者の特性に合わせてもう一度組み立てる必要がある。B再教育というシステムが必要。失敗してももう一度挑戦できる条件を用意すべきだ。最新の統計によると、一般就労が伸びているのは知的・精神・発達障害者で、身体障害者は横ばい、視覚障害者はまったく伸びていない。  情報の問題は視覚障害者の永遠の課題だ。AIがどれだけ発達しても目が見えないことによる情報障害、不利益は残る。なぜなら、一般社会は、目が見えることを前提にして作られているからである。  最近、点訳や音訳がボランティアの手によって行われているのはおかしいと言う話を聞く。手話通訳は基本的に有料なので、そのような議論は成り立つのだが、だからといって点訳・音訳ボランティアを否定することはない。この文化も大事にすべきだ。  ただ障害者政策委員会の中で第4次障害者基本計画の草案の中に、「手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員、点訳・音声奉仕者の養成」とあったので、なぜ、点訳と音声だけ「奉仕者」なのかと指摘した。すると厚労省は法律用語だからと抵抗したが、石川准(いしかわじゅん)委員長が「それは竹下さんの仰るとおり」と引き取ってくれたので「奉仕」が消えた。点訳・音声奉仕者も大事にするが、専門分野における点訳・音訳の有料化、高度な専門性を持った点訳・音訳者を作っていかなければならない。  点字図書館についてはこれからどうなっていくのか、従来のままでは心配だ。手帳の有無にかかわらず利用者を意識した展開をするとか、公共図書館と連携をとるなど検討すべきである。  戦後70年で培ってきた福祉のレベルは世界的にみても恥ずかしいものではない。「私達のことを私達抜きで決めないでください」という権利条約のキャッチフレーズは、70年の歴史のなかでも成し遂げてきたし、今もやっている。  日本が権利条約を批准し、マラケシュ条約を批准し、人権を口にし、行動し、要求していくようになり、時代は様変わりした。  「温故知新」というが、古い物の中から何を学び取って、今の運動に活かし、かつ新しい要素を取り入れるかは、言うほど簡単ではない。「日本盲人会連合」という名称をやめろというのは、全国の会員からの圧倒的な声なのだが、変えようとしたらもの凄い抵抗にあった。変えるというのはそう簡単なことではない。  最後に竹下会長は、「リーダーというのは、どんなに偉くても、どんなに有能でも、その人がいたからということはあっても、その人がやったというのは間違いで、これが僕の最後のまとめだ。僕自身、今、壁にぶつかっているしんどさも含めて勝手な思いを語らせていただいた」と結んだ。  交流会は、主管法人舛尾理事長からトラフグのひれをあぶり焼いて燗酒にいれたひれ酒100杯の差し入れや追加料理のおもてなしがあり、当地で「フク」と呼ぶ河豚料理三昧の大変豪華なものだった。  食事の合間には「平家踊り」や、友情出演としてお隣の北九州市門司港から「バナナ節保存会」が、即興でバナナの叩き売りを披露して会場を大いに盛り上げた。     大会二日目  6月22日には、日盲社協長岡雄一常務理事の司会進行で、「障害保健福祉施策の動向について ―― 視覚障害関係を中心に」と題して、厚生労働省社会援護局障害保健福祉部企画課自立支援振興室加藤晴喜室長補佐により、障害福祉サービス等報酬改定を中心に平成30年度の障害保健福祉部予算や視覚障害認定基準の変更、マラケシュ条約と著作権法の一部改正についてなどの解説が行われた。  本講演と同時に下関グランドホテル内の別会場「孔雀の間」では、「受賞ボランティア懇談会」が開催された。  式典では、例年どおり、ボランティアに対する感謝状贈呈、永年勤続職員に対する表彰状贈呈、援護功労者に対する感謝状贈呈ならびに主管法人への感謝状贈呈が行われた。  そして最後に、次期第67回大会の主管施設を代表して、北海点字図書館の後藤健市理事長から「来年、北海道でお会いしましょう」と呼びかけがあった。 アピール  日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)は1953(昭和28)年に結成され、時代の変遷とともに多様化する視覚障害者のニーズに対応しながら、その福祉向上を目指して長きに亘り全力で取り組んで参りました。こうした先人たちの想いを継承し、このたび、150年を迎える「明治維新発祥の地」下関で第66回大会を開催する運びとなりました。  下関はかつて、多くの歴史的舞台となりました。  後に、日本の歴史を大きく転換することとなった「明治維新」への道すじをつけたと言われる人物に、高杉晋作がいます。幕末という激動の時代に、先見の明と類い希なる行動力で偉業を成しとげ「維新の英傑」とうたわれました。吉田松陰の高弟として知られる高杉は、奇兵隊の創設や、四か国連合艦隊との講和会議では和平交渉をまとめ、小倉口の戦いでは勝利に尽力、そして功山寺での回天義拳、この挙兵こそが「明治維新」の第一歩と言われています。  師とする吉田松陰の遺した言葉「天下の事を成すは、天下有志の士と志を通ずるに非らざれば得ず」との教えを胸に、高杉は明治維新を実現したとされています。「大きなことを成し遂げるためには、やはり一人ではできない。身分に関係なく、志を同じくする者が集い、掲げた目標に向かって力を尽くすことで、はじめて実現できる」という教えであります。  明治維新から150年という記念すべき年を機に、日盲社協は今一度、本来の目的として発足した原点に立ち返るとともに、時代の変動に応じた運営方針の抜本的な見直しを考える時期にきています。そうした幕末の志士たちに倣い、日盲社協の在るべき姿は何であるかを求め、互いに志を同じくして前進することが必要であります。  日盲社協は、民間組織としての自主性と、利用者やボランティアなどの関係者に支えられた公共性という二つの特徴を併せ持つ全国組織として成果をあげてきた一方、既存の枠組みでは対応しきれない新しい時代の課題を抱えています。  昨年は社会福祉法人の制度改革が行われ、今後は組織体系や事業内容、財務に至るまでその透明性が問われています。求められる社会的役割を念頭に、従来の形にとらわれない柔軟な姿勢で、多くの課題に具体的に取り組んでいかなければなりません。  今こそ日盲社協が運営する各施設や事業所、五つの事業部会の事業を充実させ、また部会同士の連携を強化し、加盟施設が結集して、より一層魅力ある組織を目指すため、全力で邁進することを、「維新発祥の地」下関で宣言します。 平成30年6月22日 第66回全国盲人福祉施設大会 大会決議  1.選挙公報は、国民の基本的人権である参政権行使のための重要な情報源であり、「公職選挙法」では国政等の選挙で発行が義務づけられています。視覚障害者等のために発行される点字版・音声版・拡大版の「選挙のお知らせ」も、選挙公報として発行が義務づけられることを強く要望します。  また、「選挙のお知らせ」が有権者に届けられていなかったり、投票所においては、秘密保持の問題事例や盲ろう者等視聴覚障害者が適切な支援がないために選挙権が行使できなかったりしています。都道府県の選挙管理委員会に対し、こうした事例が改善されるよう指導強化を切に要望します。  1.点字出版所は視覚障害関係事業の中で最も古い歴史があり、視覚障害者の社会進出と社会参加を支えて来ました。主な事業である点字教科書・点字図書・点字版選挙公報・各種広報誌の安定供給には、点字製版機や印刷機を常に万全の状態に維持する必要があります。そのため、点字製版・印刷機の新規購入や保守管理等の費用について補助されることを強く要望します。  1.「障害者差別解消法」の施行により、合理的配慮の提供が行政等に義務化されたことに伴い、視覚障害者向け資料の製作依頼も増加してきました。  これらの製作には、点訳者・音訳者等が大きな役割を担っており、さらに幅広い専門性と高い技術が求められる一方、人材が不足しているのが現状です。国が進める地域福祉の充実を考慮すると、全国的に同等のサービスが提供できる仕組みを構築しなければなりません。  今後、情報提供施設としての社会的な責務を果たすためにも、人材確保の環境を整備していく必要があり、点訳者・音訳者の養成を「任意事業」ではなく、「必須事業」とすることを強く要望します。  1.急速に変化している情報化社会において、視覚障害者が情報技術の利用格差により情報障害者とならないよう、情報機器等を容易に使いこなせるための学びや、相談の場の環境づくりを確立することが急務です。  この現状を踏まえ、情報サービス部会ではすでに支援員の養成を進めているが、現行の5人枠の設置基準では、年々増加する需要に対応することが困難な状況です。  視覚障害者情報提供施設の設置基準に「情報化対応支援員」を位置づけ、1名の増員を要望します。  1.機能訓練サービスについて、視覚障害者の多様なニーズや支援の専門性の観点から短期、長期の利用が可能となる柔軟な制度の運用、福祉資源の乏しい地域の解消のための制度の見直し並びに専門職の養成の充実を要望します。  1.盲導犬(補助犬)育成については、平成30年度より地域生活支援促進事業に位置づけられたところであるが、盲導犬育成経費の公的支援は60%を下回っています。これを100%受けられるよう制度の見直しを要望します。  1.同行援護サービスについて、通所・通勤・通学目的の利用においても適正なアセスメントとサービス利用計画の下、制度利用ができるよう要件の見直しを要望します。  1. 最近は、視覚障害者が養護盲老人ホームへの入所を希望しても、措置控えをする市町村が多くなっているため、視覚障害者の養護盲老人ホームへの入所が実現しにくくなっている状況にありますので、国は早急に措置控えを解消するように全国の市町村を指導されるよう要望します。  1.最近は、元国家公務員や元地方公務員等で少し年金収入の多い視覚障害者が増加しています。ところがそのような年金収入が多い人は養護盲老人ホームには入所できない制度になっています。現在は盲老人ホームの入所者が毎月納める施設使用料金の最高額は14万円となっていますが、これを18万円とか19万円程度に引き上げて少し収入の多い人も盲老人ホームに入所できるよう盲老人ホームの入所要件を変更されるよう要望します。  1. 65歳を過ぎてから失明した視覚障害者も、グループホームに入居できるように国はグループホームの入居基準を変更されるよう要望します。  1.日常生活用具に関する給付について、合理的でない給付条件を撤廃されたい。  1.各市区町村の福祉課窓口で視覚障害者に対しては日常生活用具等の給付事業内容について説明することを要望します。 平成30年6月22日 第66回全国盲人福祉施設大会 未来へあはきをつないでいくために ―― 平成30年度三療セミナー報告 ――  8月10日(金)、日盲社協は盲人ホーム杉光園(さんこうえん)を中心に東京・上野の東京文化会館において、「三療の現況と課題から将来を考える ―― 私たちは今、何を考え何を行うべきか」をテーマに、平成30年度三療セミナーを開催した。  冒頭、橋秀治理事長は、「視覚障害者のマッサージ師が少なくなりつつあるが、ここ数年は良いこともあった。平成28年4月から障害者差別解消法が施行されたことだ。社会の方向が良くなりつつある現実と、私たち三療に関わる者の現実をかぶせて考えながら、この三療セミナーを自分の職場に生かしてほしい」と挨拶した。  セミナーでは、都立文京盲学校田中秀樹(たなかひでき)主幹教諭が次のような講演を行った。  日本の視覚障害者が自立への歩みを始めたのは、14世紀頃の琵琶法師たちが最初とされる。当道座と呼ばれた芸能集団が、生産社会から取り残されていた多くの盲人を吸収し、鍼灸あん摩業に進出していった。三療は、400年も前から盲人が担ってきた職業である。現代の私たちは、あと数十年後にも三療が残っているのだろうかと不安にかられることもあるが、この伝統を絶やすことは絶対許されない。  当道座の実践が基礎となり、全盲の杉山和一検校を祖とする鍼治講習所が江戸につくられたが、19世紀半ば頃から次第に衰退し、1874年発布の医制(西洋医学を採用し漢方・鍼灸を排除する布告)を契機として鍼灸業が厳しく規制された。また日清戦争後、大量の健常者が参入してきたことで生活困窮が社会問題化し、全国の盲人たちは盲人あん摩専業運動を展開し、1911年あん摩業と鍼灸業の営業許可に関する内務省令「按摩術営業取締規則」、「鍼術灸術営業取締規則」の施行を見るに至った。  この規則の精神は、いまの「あはき法」第19条に受け継がれている。  次に、理療の現況について触れ、関東甲信越地区に18カ所ある視覚障害者のための三療師養成施設について言及した。関東甲信越地区盲学校・養成施設進路指導協議会が、毎年度行っている進路に関する調査では、盲学校卒業生数は平成元年度には373人いたが、平成28年度には116人に減った。卒業生の職種別就職者数の推移や、開業や病院就職などの職種を見ても、数値は右肩下がりである。  全国で就業しているあん摩マッサージ指圧師11万6280人のうち、約77%にあたる8万9627人が晴眼者である。対して、視覚障害者は約23%の2万6653人。江戸時代では、「見えない人」=「あん摩」だったが、今では「あん摩」=「見える人」になりつつある。  あはき法第19条ができた1964年頃は、視覚障害業者が1万人以上、晴眼業者の人数を上回っていた。それが逆転したのは1979年で、これ以降、視覚障害者は毎年約500人ずつ減少している。一方、晴眼者は、毎年平均1200人ずつ増加している。これは1964年当時の晴眼者の養成学校の定員である。この年以降に晴眼者のあマ指師養成学校ができていないことを踏まえると自然増だと言える。「三療業界が厳しくなったのは晴眼者の人数が増えたからだ」と言うが、晴眼者の増加人数は毎年ほぼ固定されており、むしろ視覚障害者の人数が減って、晴眼者の占める割合が大きくなってしまったのが実情だろう。  視覚障害三療師が厳しい状況に置かれる理由のひとつに柔道整復師の急増もある。  平成10年の柔道整復師養成施設不指定処分取消請求事件の判決で「指定基準が満たされる以上は、養成施設の指定を行わなければならない」と国が敗訴して以来、柔道整復師の養成施設数と定員は増加している。それまで全国に十数校、2千人程度の定員しかなかったのが今では100校を超え、定員も1万人に近い。就業している柔道整復師数も急増加しており、平成10年では2万9000人だったのが、平成26年では6万3000人となっている。  厳しい話ばかりが続いたが、あマ指には、とてつもない潜在需要もある。  平成29年度の療養費の支出割合は総額5558億円のうち、柔道整復が約69%の3828億円で、支出の大半を占めている。これは平成10年頃を境に、訪問マッサージ業が活況を呈してきたからだ。機動力の点でハンデのある視覚障害者にとっては不利だが、訪問マッサージの需要とは、高齢者に対する需要である。新しいビジネスモデルを考え、実行すべきだろう。  平成28年の国民生活基礎調査では、男性では腰痛、肩こり、咳や痰がでるなどの症状、女性では肩こり、腰痛、手足の関節が痛むなどの症状があると回答した人が多くいた。これらは三療の適用になり得る。  肩こりの有訴率は女性で第1位、男性で第2位を占めており、最も多くの人が悩んでいる自覚症状だが、治療をしていない人の割合が高い。肩こりへの適切な対応は重要な意味を持つと同時に、あはきの代表的な適応症であることを考えると、ここにはまだ市場開拓の余地がある。  あはき業は、先人達が築いてきた歴史があり、卓越した治療技術と、それを求める世の中のニーズに支えられている。この道を志す人たちは、技術をさらに発展させ、次の世代に伝えていかなければならない。(編集部) 誌上慶祝会 第15回本間一夫文化賞受賞者は星川安之(ほしかわやすゆき)さん 日本点字図書館 川島早苗(かわしまさなえ)  星川安之氏は1980年、玩具メーカー・トミー工業株式会社(現・株式会社タカラトミー)へ入社後、「障害児専用の玩具」の開発を手がけ、その後、障害の有無に関わらず共に遊べる共遊玩具へと発展させ、日本玩具協会の中に「小さな凸」実行委員会を立ちあげ、他社を巻き込んだ活動に発展させました。その活動は玩具にとどまらず、1991年には障害の有無、年齢に関わらず共に使える製品やサービス(共用品・共用サービス)を普及する市民団体“E&Cプロジェクト”を発足させました。日本点字図書館を活動拠点として多くの視覚障害者の協力を得たこのプロジェクトは、日常生活における不便さ調査などを通じて、さまざまな製品やサービスの改良点を提案していきました。  障害のあるなしや年齢にかかわらない使いやすい商品の開発・サービス(共用品・共用サービス)を普及し、誰もが暮らしやすい共生社会の実現を目指す目的の下、財団法人共用品推進機構の設立にこぎつけました。1999年、同機構が発足した後は、事務局長・専務理事として、同機構の運営・発展に大きな貢献を果たしています。  その中で特筆できるのは、共用品に関する規格の作成です。わが国のJIS(日本工業規格)およびISO規格(国際標準化機構の定める規格)に、アクセシビリティ共用品に関するさまざまな規格を提唱し、いくつもの規格の制定に関わってきました。また、2016年からは、日本点字図書館と共に企画した「目が見えない・見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト」と題する、目の不自由な人が日常および非日常生活で、こんなものがあったらという製品のアイディアを出し合う世界初のコンテストの開催に尽力するなど、その活動は広がりを見せています。  共用品の市場規模は年々拡大しつつあり、現在の範囲に加え、難病の人たちや在宅ケア、防災分野、さらには最先端の技術においても共用品の考えを取り入れて研究・開発が求められており、第一人者である星川氏の今後の活躍への期待は大きいと言えます。  共用品普及に大きな成果をもたらし、より多くの人が住みやすい社会を作る活動に寄与し続ける星川氏の功績は、本年度の本間一夫文化賞に最も相応しい、と選考委員の総意で、この度受賞される運びとなりました。 「盲大学生奨学金」ヘレンケラー・サリバン賞受賞  第26回ヘレンケラー・サリバン賞は「聖明福祉協会・盲大学生奨学金事業」に決定し、10月4日に東京ヘレン・ケラー協会で贈賞式が行われ、聖明福祉協会(本間昭雄理事長)に本賞(賞状)と副賞としてヘレン・ケラー女史直筆のサインを刻印したクリスタル・トロフィーが贈られた。  聖明福祉協会は、昭和30(1955)年に本間昭雄氏により東京都世田谷区を拠点に創設され、当初は視覚障害者の家庭を訪問し、点字を教えたり、身の上相談に応じていた。その後、老人問題が大きな社会問題となったため、昭和39(1964)年に軽費盲老人ホームを開設。翌年には盲養護老人ホームを開設して、定員50人から始まった聖明園は、現在280人が利用している。  自身も中途で失明し、十分に勉強ができなかった本間理事長は、昭和44(1969)年、自分の体験から記念事業として視覚障害大学生に対する奨学金事業制度の創設を決めた。そして昭和44年に第1期生を募集して以来50年間に212人に奨学金を貸与して、学習環境を改善するとともに、社会の各方面に有為の人材を輩出してきた。  同奨学金開始当初は、朝日新聞厚生文化事業団から、現在は篤志家や一般社団法人昭和会館などの団体からの寄付で事業を継続している。同奨学金も拡充し、2、3年前からは国内の4年制大学だけでなく海外の大学院へ進学する学生への援助も開始した。当初月額5000円だった貸付金額も、現在は月額4万円にまで増えている。  奨学生の中からは、日本盲人会連合竹下義樹会長、東京大学福島智(ふくしまさとし)教授、内閣府障害者政策委員会委員長を務める石川准静岡県立大学教授など、幅広い分野で多彩な人材が活躍している。  選考委員長の橋秀治氏(日盲社協理事長)は「この制度がなければ、多くの盲学生が資金面から勉学を断念していただろう。視覚障害者の地位向上につながった」と受賞理由を述べた。  授賞式に出席した日本盲人福祉委員会の指田忠司(さしだちゅうじ)常務理事は「学生を募集しているアルバイトのほとんどが健常者向けであり、視覚に障害を持つ学生の多くは、アルバイトをしたくてもすることができない。支出が多いのに収入源を見つけられずにいる盲学生にとって、この奨学金は本当に助かった」と、自身もこの奨学金を利用した一人として感謝を込めて祝辞を贈った。  本間理事長は「ただでさえ学生は成績面や環境面など不安になることが多い。ましてや視覚に障害を持つとなると、なおさらだろう。そのような盲学生の不安を少しでも取り除けるのであればと思い、この奨学金事業を始めた。今回の受賞で満足するのではなく、引き続き若い世代の支援をしていきたい」と述べ、盛大な拍手を浴びた。 全盲老連創立50周年記念式典  全国盲老人福祉施設連絡協議会(全盲老連・中村秀一(なかむらしゅういち)理事長)は、秋篠宮文仁親王同妃両殿下をお迎えして、4月16日(月)午前11時から午後3時、東京都新宿区のホテルグランドヒル市ヶ谷において「創立50周年記念式典」を開催した。  昭和43(1968)年4月5日に東京・新宿の中村屋で全盲老連が結成されたときの会員施設は、奈良の慈母園、東京の聖明園と第二聖明園、広島の白滝園の3法人4施設であった。それにも関わらず「全国」という冠を付けたのは、近い将来各都道府県に必ず一施設は設置され、全盲老連が盲老人福祉の拠点となる時期が来ると本間昭雄名誉会長たちが信じたからだった。  そして「全国各都道府県に一施設を」をスローガンに設置運動を進めて、現在は富山県と鳥取県と現在計画中の岐阜県を除いた都道府県に82施設の盲および聴覚障害者老人ホームが設置されている。  式典では20人の第10回太陽福祉文化賞功労賞受賞者の発表があったが、ここでは日盲社協関係者だけに留める(敬称略)。  明田三千代(あきたみちよ)(奈良・慈母園)  島田修一(しまだしゅういち)(東京・聖明園曙荘)  鈴木豊(すずきゆたか)(東京・聖明園富士見荘)  高橋一昭(たかはしかずあき)(広島・白滝園)  田中広子(たなかひろこ)(三重・梨ノ木園)  本間清郷(ほんまきよさと)(東京・聖明園寿荘)  式典の後には「日本(にほん)の国柄」をテーマに記念講演が行われ、数学者でお茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏が、歯に衣着せぬ機知に富む語り口で会場を沸かせた。  「日本の国柄の最たるものは、権威と権力を分離した天皇制だが、それに次ぐのは、400年間世界を圧倒してきた初等教育の素晴らしさであった。これは400年前から日本の識字率はずっと世界一であったためだが、それが最近揺らいでいる」と警鐘を鳴らした。  「最も問題なのは、小学校での英語教育で、これを国民が支持しているのは、日本を破壊するために全力を出していることに等しい」と嘆いて、初等教育は圧倒的に国語が大事で、「読書をもっと強制的にでもさせるべきで、教育の目的は自ら本に手を伸ばす子を育てること」と主張し、中等教育からは文学・芸術・数学・物理が重要であるという独自の見解をユーモアたっぷりに展開した。(編集部) 30年余も音訳を続けられたことに感謝 日本ライトハウス 音訳ボランティア 片岡珠子(かたおかたまこ)  この度は思いがけなく、鉄道弘済会と日本盲人福祉委員会主催・第48回朗読録音奉仕者感謝の集いで「文部科学大臣賞」を頂きました。本当に私が頂いてよかったのかの思いと、感謝の気持ちでいっぱいです。私は、NHK大阪文化センターで「ボランティアのための朗読講座」を修了後、ご縁があって日本ライトハウス情報文化センターの音訳ボランティアになることが出来ました。専門教育を受けたわけでなく、小説を上手に読めるわけでもない私が30年余りも続けてこられたのは、次のような経緯があったからだと思っております。  それは、当時新人だったある方がオープンリールのテープレコーダーで編集をしながら「この録音で本当に伝わるだろうか?」と疑問を持たれたところから始まりました。声を潜めたり、低くしたり、早口で読まれたりしている録音図書の原本が、括弧で括られていたり、注釈だったりすることが、聞いている人に正しく伝わっているのだろうかという疑問だったそうです。そしてある提案がされました。括弧・註などの語を添えて音訳することで、一部の熟練者だけでなく、多くの人が音訳に関わることが出来て、効率よく録音が進むのではないだろうか? 聞き手には、低い声で読まれている意味を推測しながら聞かなければならないストレスもかからないのでは? というものでした。当時すでに確立されていた録音技法に対する、この「抵抗勢力」は苦戦を強いられましたが、徐々に理解されて今日に至ります。その間、同音異義語・造語などに添える字の説明から、図・表・写真の読み方まで様々な検討が加えられてきました。  「聴いてわかる録音図書をつくるために」この目標のもとに、日本ライトハウス情報文化センターの録音製作係に集うボランティアは、音訳・校正・編集活動を続けています。読書が好きなだけでボランティアになった私にも居場所が出来たのです。  録音図書では、聞き手が「あれ?」「ん?」と疑問に思われたところから先が、理解されないままどんどん進んでいきます。例えば、東洋医学で「カン」と読むものには、「寒・汗・肝・坎・甘・悍・緩」など様々あります。それぞれ、「さむい・あせ・五臓の肝・八卦の坎・甘い・精悍の悍/たけだけしい・ゆるやか」等と添えて読んでいます。「聴いてわかる録音図書になっているか?」目指すところは一つです。  私の30年余の活動で特筆すべきことは、10年余り前から、定年を機に主人が情報文化センターの図書・情報サービス係でボランティアを始めたことです。点字・録音図書の貸出・返却の仕事で、「数字くらいは読めないと」と点字の練習も始めました。退き際が大切との思いも持ちながら、もう少しの間、二人で続けられればと願っております。 平成30年度点字指導員講習会報告     点字指導員研修委員会委員長 大澤剛(おおさわつよし)  日盲社協情報サービス部会(担当:点字指導員研修委員会)は、8月28日(火)〜30日(木)、大阪市の山西記念福祉会館を会場に、「平成30年度点字指導員講習会」を実施しました。  今年は、点字指導員認定講習会だったので、全国から110人余の申し込みがありました。その中から課題審査に合格した方と点字技能師有資格者あわせて82人に受講していただきました。  研修内容は、次のようなものでした。  初日は、午後から「指点字の誕生」、「点字概論」の二つの講義を行いました。  近年盲ろう者の活躍が大きく取り上げられるようになり、指点字も知られるようになりました。その指点字を生み出した方に講師をお願いし、指点字を中心にした盲ろう者の生活について学びました。  「点字概論」では、2018年度に改訂される「日本点字表記法」について概要を聴くことができました。  29日は、午前9時〜午後5時までと長丁場でしたが、午前中には点訳指導法について事例を踏まえて学び、午後からは、点訳の基本テキストである『点訳のてびき』を使用した指導法を半日かけて学ぶことができました。  最終日の30日は、難読語の調査法に関する講義がありました。また、午後は、点字指導員の認定試験を行いました。受講者は熱心に校正・点訳課題に挑戦していました。  今年は、天候にも恵まれ、充実した講習会となりました。支えてくださったスタッフをはじめ、講習会に参加してくださった皆様に感謝申し上げます。(三重県視覚障害者支援センター職員) 情報化対応支援者講習会報告 ―― 第9回情報機器コース ―― 情報機器等研修委員会 委員長 岡田弥(おかだあまね)  日盲社協情報サービス部会は、8月1日〜3日、日本ライトハウス情報文化センター(大阪市)で、標記講習会を25団体28人の参加で次のように実施した。(以下、敬称略) <第1日目> ・講義1「WindowsとiOS」日本点字図  書館 清水重人(しみずしげと) ・講義2「最新機器の紹介」日本ライトハ  ウス情報文化センター 岡田弥 <第2日目> ・講義3「iOSとAndroid」神戸市立点字  図書館 東秀樹(あずまひでき) ・講義4「iOSアプリいろいろ」福島県点  字図書館 野地美行(のじよしゆき) ・講義5「サポート事例1 遠隔サポート  について」徳島県立障がい者交流プラザ 視聴覚障がい者支援センター 阪井紀夫(さかいのりお) ・講義6「サポート事例2 電話サポート  について」日本ライトハウス情報文化セ  ンター 松本一寛(まつもとかずひろ) <第3日目> ・講義7「ロービジョンについて」兵庫県  立点字図書館 岸本将志(きしもとまさし) ・講義8「情報交換会」司会 日本ライト  ハウス情報文化センター 岡田弥  毎年、全国から参加者が集まった際に、都市部ではともかく、地方では来館や訪問での対面サポートができるケースが少ないという話が多い。そこで今回は体験型の講義として、電話サポートや遠隔サポートの事例を取り上げた。電話サポートでは、参加者の1人が支援される側となって、全盲の講師の電話サポートによって、「サピエからDAISY図書データをダウンロードして、CD-Rに書き込む」という課題を実施した。電話の向こうの声を聞きながらのサポートは難しいが、操作の技術的なことだけでなく、言葉のかけ方やパソコンの状態の確認のしかたなど、参加者には得るところの大きい時間となったようであった。  遠隔サポートでは、支援する側とされる側、両方のパソコンに音声が出ることも確認され、視覚障害当事者が遠隔サポートすることも可能だということがわかったと思う。また、今回は高額な最新ウェアラブル機器が多数紹介されたこともあり、休憩時間等にも機器を体験する姿が目立った。  今後の課題は、委員長を含めて多数の委員が入れ替わり、昨年から継続の委員が2人のみであった。委員の所属が広域にわたったため、委員会や研修会にも前泊あるいは後泊の必要が増えた。研修会の前日準備に関わる委員が増えたのはプラスだが、予算上は厳しくなってきている。  今年は機器の紹介のために招聘した業者が関西だったので特に問題なかったが、遠くから招聘する場合の費用負担の問題は昨年から引き続き課題として残った。 全国ロービジョン低視覚)セミナーのこれまでとこれから   日盲社協評議員・日本盲人職能開発センター 施設長 杉江勝憲(すぎえかつのり)  日本盲人職能開発センターは、視覚障害者の就労を主テーマに平成15年より毎年7月に全国ロービジョン(低視覚)セミナーを戸山サンライズ(全国身体障害者総合福祉センター)で開催して来ました。  今年度は、「視覚障害者の(働きたい)をかなえる医療・福祉・教育の連携」を具体的テーマとしました。午前中に基調講演Tとして井上眼科病院の鶴岡三惠子(つるおかみえこ)医師による「視覚障害の新たな認定基準」、基調講演Uとして吉泉豊晴(よしいずみとよはる)職業能力開発指導官による「視覚障害者の就労実態アンケートの結果について」の報告がありました。  午後からは、「日本盲人職能開発センターと関係機関との連携」をサブテーマに、当センター施設長杉江勝憲のコーディネートの下、井上眼科病院人事総務部石原純子(いしはらじゅんこ)氏、東京視覚障害者生活支援センター就労支援課長石川充英(いしかわみつひで)氏、東京都立文京盲学校主幹教諭田中秀樹(たなかひでき)氏、当センター就労移行支援部長坂田光子(さかたみつこ)によるパネルディスカッションが行われました。  また、第二会場では、拡大読書器、弱視用レンズ、パソコンソフト、便利グッズ等のロービジョン機器等の展示および関連団体、関連施設(国リハ、職リハ、弱視問題研究会、スパン、タートル、東京視覚障害者生活支援センター、都立文京盲学校、七沢自立支援ホーム、当センター)の相談コーナーが同時並行で開催されました。  過去5年間の具体的テーマを振り返りますと、平成25年は「ロービジョンとともに働く 〜 ロービジョンケアから就労支援まで 〜」、平成26年は「視覚障害者の就労継続 〜 情報機器の活用と職場の支え合い 〜」、平成27年は「視覚障害者の(働く)は今 〜 自立に向けたリハビリテーションと人の支えあい 〜」、平成28年は「視覚障害者とともに働く 〜 求められる心のサポート 〜」、平成29年は「岐路に立つ視覚障害者の職業自立 〜 どう変える?これからの働き方 〜」となっています。  当センターは引き続き視覚障害者の就労を主テーマに開催を続けてまいります。  来年度は、具体的テーマはまだ未定ですが、今後、全国ロービジョンセミナー実行委員会で期待に添えるよう検討していく予定でおります。  日程については、平成31年7月20日(土)に開催を予定しておりますので、皆様のご参加を心からお待ちいたしております。 素晴らしいアイディアがたくさん! “とっておきのアイディア”コンテスト 共用品推進機構 森川美和(もりかわみわ)  2018年11月3日(土)、「サイトワールド2018」(東京都墨田区)の会場内で、「第3回 目が見えない・見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト表彰式」(日本点字図書館/共用品推進機構主催)を開催しました。  現在、世の中にある製品は、主に障害のない人達が考えて作っています。そのため、障害のある人達にとっては、使いづらいモノが存在しています。 それを解決する一つの方法として、「目が見えない・見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト」を実施することにしました。  新たな製品や今ある製品の改良について、障害のある人たち自らアイディアを考え、その考え方のポイントを企業等の人達に知ってもらえば、今後世の中にでてくる製品が使いやすく変わっていくのではないかと考えています。  今年度、盲学校の部で最優秀賞に輝いたのは、高校3年生が視覚障害のある人のために考えた「ファッションお助けアプリ」と、中学2年生が弱視の人のために考えた文房具「軽々デスク」の二作品でした。  いずれも、多くの視覚障害のある人達の持つニーズであり、夢のある作品でした。  一般の部の最優秀賞は、視覚障害のある人や盲ろうの人にとって嬉しいアイディアで、実現が望まれる「立体手書きデジタルパッド」でした。  受賞作の選定に関わった審査員からは、「これまでの作品とは違った新しい視点での作品が多く、視覚障害のある人達のニーズがよく分かる」、「作品のアピールポイントが明確に書いてあるものが多く、内容が分かりやすい」等の総評がありました。  この“とっておきのアイディア”コンテストの審査基準は、主に以下の三つです。  1.夢のあるもの(非現実的なものであるが、夢があり希望が持てるものなど)  2.実現可能性があるもの(現実的であり、製品化可能なもの、あるいは少しの工夫で製品化ができそうなものなど)  3.ユニークさ(斬新さ)があるもの(アイディアの内容がユニークであり、楽しみの持てるものなど)  2019年も継続してコンテストを開催する予定ですので、今からたくさんのアイディアを温めて頂けると嬉しいです。 点字版選挙公報製作グレードアップ研修会開催! 選挙プロジェクト点字版部会点字表記委員会委員長 渡辺昭一(わたなべしょういち)  日本盲人福祉委員会(日盲委)視覚障害者選挙情報支援プロジェクト点字版部会では、去る8月31日に、日本点字図書館多目的室において標記研修会を開催し、25施設・88人の参加がありました。対象は、昨年の衆議院選挙における『点字版選挙のお知らせ』(点字毎日号外)の製作に取り組んだ施設と、これから新たにプロジェクトに参加する施設・団体等の職員でした。  研修会に先立ち、5月には、昨年の衆議院選挙の際に点訳・校正・製版・印刷に携わった施設を対象にして、点字毎日からの最終校正の指摘事項を各施設ごとに示しながら、メールでのアンケート調査を実施しました。その結果から、少数ではありますが、点字版『選挙のお知らせ』製作に携わる職員数が少ない施設や来年予定される参議院選挙における作業分担を減らしてほしいという施設があることなどの懸念材料が浮き彫りになった他、点字毎日の最終校正における指摘事項を減らすことの難しさなどが感じ取れました。  研修会は、森幸久(もりゆきひさ)委員(名古屋ライトハウス)の司会で進行しました。伊藤宣真(いとうのぶざね)点字版部会長(日本点字図書館)の開会の挨拶、中山敬(なかやまけい)点字版事務局長(日本盲人会連合)の研修会の流れについての説明の後、研修内容に入りました。  なお、今回の研修会の講師はすべて点字版部会事務局員と点字表記委員会委員が務めました(以下、敬称略)。  @平成29年10月の衆議院選挙における点字版『選挙のお知らせ』製作にあたっての最終校正担当・点字毎日からの各施設に対する指摘事項について、講師は佐木理人(さきあやと)(点字毎日)  A選挙公報点字表記委員会が実施したアンケート結果から ―― 技術向上と事故防止のために私たちがすべきこと、講師は福井哲也(ふくいてつや)(日本ライトハウス)  B校正実習、進行は渡辺昭一(京都ライトハウス)  C各施設等からのレポート「正確で円滑な選挙公報製作を目指した取り組み」と質疑応答、司会は福山博(ふくやまひろし)(東京ヘレン・ケラー協会)  最後に、日盲委を代表して指田忠司常務理事から閉会の挨拶をいただき、研修会を終えました。  今後とも、日盲委選挙プロジェクト点字版部会の参加施設等の職員を対象とした研修会の実施等を通じて、点字版『選挙のお知らせ』製作に携わる職員の資質向上に向けた取り組みを継続していく必要性を痛感した研修会でした。 枯葉が散るごとくレッツゴー事業所の撤退 ―― 日盲社協の社会貢献事業はどうなるのか ―― 日盲社協レッツゴー事業所 担当理事 橋秀夫(たかはしひでお)  日盲社協レッツゴー事業所開設(平成27年5月27日からスタート)して以来、各施設におきましてはPR等のご支援をいただき感謝申し上げます。残念ながら11月30日をもちまして事業撤退することになりました(平成30年9月25日の第2回理事会で決定。あらかじめ設定した事業計画に従って事業の継続の判断を行ったもの)。この間当事業所にお寄せいただいたご高誼に心から感謝申し上げるとともに、力不足を深くお詫び申し上げる次第です。何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます。  同行援護事業は、視覚障害により、移動に著しい困難を有する方に対し、外出時において移動に必要な情報の提供、移動の援護などの援助を行う事業です。これに対する報酬単価は、「身体介護を伴う」と「身体介護を伴わない」で異なり、サービスを提供した時間帯・時間数ごとに設定された単位数の合計に、1単位当たりの単価を乗じて得た額となります。当事業所の場合はほとんどの方が「身体介護を伴わない」でした。1時間以上1時間30分の報酬単価は、「身体介護を伴う」と「身体介護を伴わない」の差は324単位数で2077円でした。ですから「身体介護を伴う」の利用者を多く獲得して利用してもらえれば月額報酬は高額になります。そのために法律違反すれすれで獲得に走る事業所や「身体介護を伴わない」方は排除する事業者も現れる始末です。  平成30年4月から「身体介護を伴う」と「身体介護を伴わない」の分類を廃止し、基本報酬が一本化された結果、当事業所も月額平均56万円を超えてきました。しかしながら事業を運営する法人は、事業が当初の見込み通りに推移しない場合、どこまで今後の時間を使うか、どこまで運営資金を投入するかが問題になります。いよいよこれからという時期(平成30年9月)に、との感が職員当事者間にはありますが、理事会決定ですので致し方ないと受け止めています。また、理事の中には「本部事業はそれぞれ独立採算制である」との考えが底流にあるようです。この考えは本部事業の3事業所は連帯ではなく、連携だから弱い事業所を切り捨てても仕方ないというものです。それも費用対効果からすれば当然でしょう。私は常務会・理事会で3事業所の資金管理を事業所単位から法人単位とし、不採算部門への充当を企画・充当できる仕組みを検討すべきだと力説してきました。なぜならレッツゴー事業所は、介護低報酬時代から社会貢献事業の必要性を訴え、全国の利用者の経験(移動によって得た)価値を高める取り組みをしていたからです。最後になりましたが、全国の利用者の方々に力不足をお詫び申し上げます。 日盲社協事務局だより 新規入会 <自立支援施設部会> ◆日本点字図書館自立支援室  平成30年5月1日入会  理事長 田中徹二  施設長 長岡英司(ながおかひでじ)(図書館長兼任)  〒169-8586東京都新宿区高田馬場 1-23-4 TEL: 03-3209-0241(代)FAX: 03-3200-4133 E-mail:jiritsu@nittento.or.jp HP:http://www.nittento.or.jp/ 退会 <点字出版部会> ◆広島市視覚障害者福祉協会点字製作部  平成30年3月末退会 <生活施設部会> ◆特別養護老人ホーム 一重の里  平成30年3月末退会 名称変更・住所変更等 <点字出版部会> ◆東京点字出版所(建て替えに伴い、平成30年9月3日〜31年8月まで一時移転)  移転先住所 〒181-0004三鷹市新川6-8-10 サンシャインビル1F (電話・FAXは移転の間変更なし) <情報サービス部会> ◆旭川点字図書館の運営法人名称変更  社会福祉法人旭川盲人福祉センター → 社会福祉法人 旭川光風会(こうふうかい) <自立支援施設部会> ◆一般社団法人全国盲導犬協会 →   一般社団法人いばらき盲導犬協会 ◆山口県盲人福祉協会訪問介護事業所・山 → 居宅介護事業所・山 施設長等変更 <点字出版部会> ◆名古屋盲人情報文化センター点字出版部  新所長 村井俊二(むらいしゅんじ) <情報サービス部会> ◆青森県視覚障害者情報センター  新所長 佐々木秀勝(ささきひでかつ) ◆秋田県点字図書館  新館長 熊谷公彦(くまがやこうげん)(元職に復帰) ◆上野点字図書館  新館長 西岡時彦(にしおかときひこ) ◆愛媛県視聴覚福祉センター  新館長 三好利一(みよしとしかず) ◆香川県視覚障害者福祉センター  新館長 岡悦子(おかえつこ) ◆滋賀県立視覚障害者センター  新所長 菊井吉之蒸(きくいきちのじょう) ◆東京ヘレン・ケラー協会点字図書館  新館長 川西幸治(かわにしこうじ) ◆名古屋盲人情報文化センター図書館事業部 新所長 村井俊二(むらいしゅんじ) <自立支援施設部会> ◆東日本(ひがしにほん)盲導犬協会  新代表理事 平崎憲夫(ひらさきのりお) <生活施設部会> ◆山口県盲人福祉協会 居宅介護事業所・山 新所長 小笠原拓二(おがさわらたくじ) 編集後記  関門海峡は列車で何十回となく通過しておりながら、下関市を訪れる機会はこれまでありませんでした。今年の日盲社協大会に参加して、その風光明媚なロケーションと、主管法人の巧みな演出と素晴らしいおもてなしに敬意を表して、いつもと趣を変えて、以下に小紀行を記します。  大会会場である下関グランドホテルは、1906年建造の旧下関英国領事館と大通りをはさんだ海側にあり、海峡に接するその眺望があまりに素晴らしかったため、会議中であるにも関わらず、窓から大小の船が行き交う海をつい眺めてしまいました。  挨拶に立った地元関係者が、海峡を指して「これは何という河ですか?」と尋ねた外国人がいると苦笑したとき、私は35年前に上海を訪れたことを思い出しました。戦前の摩天楼が建ち並ぶバンドで、「これは海ではありません黄浦江(こうほこう)という河です」とガイドが説明したのです。  中国といえば、1895 年4月、日清戦争の講和会議が開催された春帆楼(しゅんぱんろう)も下関にあります。また1550年秋、聖フランシスコ・ザビエルが下関に上陸した地や、源氏と平家の最後の戦いとなった1185年の壇ノ浦の古戦場も思いがけなくグランドホテルから近く、早朝の散歩コースでした。  6月21日の交流会では壇ノ浦の戦いで源氏に敗れ、満6歳4か月で海に沈んだ安徳帝と平家の魂を慰める「下関平家踊り」が披露され、太鼓と酒の空樽に三味線が入るテンポの速いリズムと独特の振り付けの踊りは、実に典雅なものでした。  古地図をみれば関門海峡は、その昔、下関海峡とか馬関海峡と呼ばれていたことがわかります。馬関とは下関の別称で、中国ではいまでも下関条約のことを馬関条約と呼ぶそうです。(福山博)  次号の『日盲社協通信』は平成31年4月に発行する予定です。 情報提供のお願い  本誌に対する情報提供・要望・苦情・意見・感想は、日盲社協広報委員長福山博宛、郵便やEメール(fukuyama@thka.jp)でお送りください。お待ちしております。 本誌は、東京都民共済生活協同組合の助成により作成したものです