日盲社協通信 令和元(2019)年11月号(通巻79号) 編集人:福山博   発行人:舛尾政美 発行所:社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協) National Council of the Agencies of the Welfare for the Blind (NCAWB) http://www.ncawb.org/     もくじ 令和元年を新しい時代の夜明けに 理事長 舛尾政美 学んで、備える 常務理事 長岡雄一 視覚障害者の自立とは 常務理事 荒川明宏 (特集)第67回全国盲人福祉施設大会  ―― フロンティアの大地十勝・帯広で開催 ―― コミュニケーションで顧客満足度をアップ  ―― 令和元年度三療セミナー報告 ―― (誌上慶祝会)株式会社日本テレソフトの「経済産業大臣表彰」を祝う  (株)ラビット 代表取締役 荒川明宏 原田良實さんにヘレンケラー・サリバン賞 楽しい生活ができる盲老人ホームを目指す茂木さん  日盲社協参与/視覚障害者支援総合センター 前理事長 高橋實 第11回太陽福祉文化賞 わが施設の今 第2回東京点字出版所 理事長 肥後正幸 令和元年度点字指導員講習会報告 点字指導員研修委員会 委員長 大澤剛 情報化対応支援者講習会報告 ―― 第10回情報機器コース ――  情報機器等研修委員会 委員長 岡田弥 岩橋明子さんを偲ぶ 日本点字図書館 理事長 田中徹二 不便さを解決してくれるユニークなアイディアなどがたくさん!  “とっておきのアイディア”コンテスト 共用品推進機構 森川美和 日盲社協事務局だより 編集後記     令和元年を新しい時代の夜明けに     理事長 舛尾政美  台風19号が各地で大被害を残しています。衷心よりお見舞いを申し上げます。本会では10月23日に常務理事会を開き対応を検討し、早速具体的な対策を進めて行くことにしました。  3月16日に理事会で理事長に選任されてから、引き継ぎの時間もないまま毎日が経過しています。東京の本部と下関の山口県盲人福祉協会の間で電話やFAX、そしてメールで連絡を取りながら、下関から東京に私が出かける必要がある時は、北九州空港発5時、羽田着6時半、20時羽田発、21時半北九州空港着の飛行機で日帰りで業務ができることは有難く感謝しています。  振り返ってみると4月は5日に常務理事会を開き、全国大会(帯広大会)などの準備をしました。13日、新宿御苑で行われた「桜を見る会」に参加しました。18日、新宿区のリサイクル活動センターで開催の社内検定試験運営委員会で挨拶しました。5月は26日から3日間、札幌で日盲連開催の全国盲人福祉大会に本会代表として出席しました。6月は20・21日の2日間、北海道帯広で第67回全国盲人福祉施設大会を開催しました。本会が札幌以外の北海道で全国大会を開催することは初めてのことであり、厚労省の金原辰夫室長が来賓として参加されたのも予想外のことで有難いと思っています。さらに視覚障害者のヴァイオリニスト和波孝禧氏が交流会で直接演奏されたのは特筆すべきことでした。23日、金沢市で行われた石川県視覚障害者協会創立100周年記念式典に本会代表として出席しました。26日、日盲連で開催の日盲委理事会において日盲委副理事長に選任されました。  7月は16日に常務理事会を開き、大会の反省などについて協議しました。8月は29日に支援センターにおいて理事会を開き、大会の反省と厚労省に対する陳情、そして杉光園の所長の任免について審議しました。9月は20日に厚労省において大会の決議などを説明し陳情しました。厚労省は「養護老人ホームの措置控え解消などについて、関係方面に改善を求めている中で養護老人ホームの契約による入所を7月2日付で通知している」と説明しました。  以上の経過に基づきこれからの活動を確認しますと、1月は23・24日の2日間、日野市の「東京光の家」で生活施設部会の研修会を開催するほか、点字出版部会や情報サービス部会、自立支援部会などの研修会が行われるものと思われます。最終的には第68回全国盲人福祉施設大会(滋賀大会)の準備をもって今年度の計画を終了することになると思われます。いずれにしても今年度は5月から元号が変わり「令和」という新しい時代を迎え、いわば令和の夜明けであります。これにふさわしい年度となるよう最善を尽くす覚悟であります。  最後に皆さんのご支援ご協力を重ねてお願い申し上げます。     学んで、備える     常務理事 長岡雄一  先日の電車内での会社員風二人の会話です。  「最近は、秋がなくて、夏から突然冬になるよな。風情も何もあったものではない」。 「本当だよ。極端だよな」。確かにその通りで、やっと青空を拝むことができた今朝の気温は冬のそれ。つい先日までは半そででも過ごすことができていたと言うのに、アッと言う間に上着なしでは厳しい状況。  すべてにおいて極端から極端に流れるご時世に突入したと言えるかもしれません。そう考えると、ここ数年、災害の発生が日常茶飯に近い状態になっていることも、その一端かもしれません。しかも、以前は関係機関による危険の告知が、外れることが少なくなかったのに、最近は、その告知通りになる事例が多く見られるようになってきました。  その意味では、想定外の災害の発生が増えてきたのではなく、「記録的」と言われる想定された自然現象がかなりの確率で発生しているということができます。  「記録的」という意味では、今般の台風19号は狩野川台風との比較で語られることが多かったように思いますが、狩野川台風当時のインフラと、現在のインフラを考えれば、もたらされた災害は、狩野川台風の比ではなかったとさえ思えます。  ましてや、つい先日の長期の停電を伴った災害から、時を置かずして襲ってきた災害は、その印象を強いものにしています。  ただ考えなくてはならないのは、今回の災害では、河川の氾濫や水害が危惧されている東京の下町が、少なくとも私の耳に入ってくるレベルでは、大きな被害にあっていないのは何故かということです。「氾濫したら、東京中が浸水する」と言われている荒川は、確かに、堤防の最上部すれすれまで水位が上がっているのを見ましたし、その流れの激しさたるや、恐怖を覚えるほどでした。  しかし、東京周辺で大きな被害を蒙ったのは、荒川流域ではなく、多摩川流域でした。多摩川流域はかつてドラマでも扱われた氾濫がありましたが、その後は大きくマスコミ等で扱われる氾濫はなかったのではと思います。それなのに今回なぜ?  これにはいくつかの理由があるでしょう。私のような門外漢がその理由を並べ立てることは不可能ですが、ハード、ソフト両面での周到な準備がどこかにあったのではと感じてはいます。  今回の水害の中でも、ある老人ホームは、利用者、職員全員を無事避難させています。大きな話題にならないまでも、それに近いことを行った個人や団体は決して少なくないのではと思います。  施設で働く私たちにとっては、ここから学ばなくてはならないことが多くあります。改めて自分の施設を、そして地域を見渡し、大きな被害をもたらさないよう心がけることが求められています。     視覚障害者の自立とは     常務理事 荒川明宏  私が経営している株式会社ラビットの経営理念の1つに「私たちは視覚障害者の自立支援をお手伝いします」というのがあります。この経営理念は、私の経営している会社で毎日朝礼の際に全員で唱和しているものです。  「自立支援をお手伝い」には、あくまでも主人公は視覚障害者のお客様であり、私たち社員は脇役という意味が込められています。  視覚障害者の自立から切り離すことができないキーワードの1つに「視覚障害リハや訓練」があります。この言葉から思い出される話は……。  8月に理事長代理として「日本ライトハウスの岩橋明子会長のお別れの会」に出席しました。岩橋明子会長が第3代の理事長に就任された頃、私は訓練生として日本ライトハウスに入所し4年間訓練を受けました。  弔辞の中で、「訓練では視覚障害者の最大限の能力を引き出すということに重点を置いた」という話がありました。  それだけ聞くと、「何だ、そんなこと当たり前ではないか」と誰もが思うでしょう。  では、「最大限の能力を引き出す」とは何を、どのようにすれば可能なのでしょうか?  私は歩行訓練の授業の時、大阪駅の階段を降りようとして、肩をぽんとたたかれ指導員に「今から自殺するのか?」と尋ねられました。  何を言われているのかわかりませんでしたが、杖で階段を確認するように言われ白杖を出すと……。私が降りようとしたのは階段ではなく、環状線外回りの線路でした。  私は、はじめて恐怖を覚え、ホームを歩くのがとても怖くなったことを今でも忘れることができません。正直「何故もっと早く階段ではないと教えてくれなかったんだ」と思いました。  「その人の最大の能力を引き出す」という訓練の1つが、ホームの危険性を教えるというものだったと思えます。  4年間の訓練は、全てがこの基本に沿ったものだったと思います。  「やる気になれば1人でできる」と思っていても、実際にはできないこともあると思います。また、昔はできていたことが、年齢とともにできなくなったりするかもしれません。  これからの時代、「人手不足」がキーワードです。当然、視覚障害者の支援やボランティアをしてくれる人も不足することが予想されます。  私たち視覚障害者自身が「何ができて、何ができないのか」という棚卸を行い、自分の「自立」を理解することがとても大切ではないかと感じるこの頃です。     (特集)第67回全国盲人福祉施設大会     ―― フロンティアの大地十勝・帯広で開催 ――  日盲社協第67回全国盲人福祉施設大会が、社会福祉法人ほくてん北海点字図書館を主管施設に、6月20・21日の両日、関係者約180人を集めて、北海道ホテルで開催された。同ホテルは、帯広市の駅前市街地にありながら豊かな自然に囲まれた明治32年創業の老舗リゾートホテルである。  初日には開会式と研修会1と2、それに事業部会(5部会)と交流会が行われ、二日目には講演会と受賞ボランティア懇談会、それに式典が行われた。  冒頭挨拶に立った舛尾政美理事長は、「北の大地十勝・帯広で初めて大会を開くことができ、日盲社協飛躍の契機になることを願っています。3月の理事会で橋秀治理事長が健康上の理由で退任され、後任に私が選任されました。高齢で大役を果たせるか心配ではありますが、最善を尽くす覚悟であります。皆さんのご協力を特にお願いする次第でございます」と述べた。  初日の研修会1では、今年が北海点字図書館創立70年にあたることから日盲社協姉崎久志評議員を司会進行に、ほくてん後藤健市理事長による、「十勝・帯広の開拓の歴史と北海点字図書館」をテーマにした講演が行われた。  ほくてんの創設者後藤寅市氏は、明治35年(1902)新潟県で生まれたが、生後間もなく材木商であった父親の仕事の関係で北海道釧路に移住。3歳のときに大木から落ちて失明し、7年遅れで小樽盲唖学校に入学し、その後、東京盲学校に転校。東京盲学校師範科の同級生であった赤沢つい氏と結婚し、大正13年(1924)北海道に帰って夫婦で鍼按摩マッサージ治療院を開業。  昭和6年(1931)に徒弟制度下で強制されていた厳冬期の流しあん摩の禁止を訴えて十勝盲人会を組織。昭和22年(1947)には北海道盲人連盟を組織して理事長に就き、翌年には「ヘレン・ケラー女史歓迎全道盲人大会」を成功させた。  直系の孫である後藤健市氏は、黎明期の北海道盲人運動のリーダーとして活躍した祖父の一代記を、あるときは突き放すように、あるときは敬愛に満ちた口調で語った。  北海点字図書館は、東京・大阪に続く3番目の点字図書館として昭和24年(1949)に、寅市氏が自宅の1室に700冊の蔵書を並べて開設。ただ運営費はなく、妻が経営する鍼按摩マッサージ治療院の収入がつぎ込まれた。  その愛妻と愛娘は、昭和29年(1954)、青函連絡船洞爺丸に乗り合わせ、台風15号の暴風と高波により転覆・沈没し、死者・行方不明者あわせて1,155名という日本海難史上最大の惨事となった洞爺丸事故の犠牲者の中に含まれていたのだった。  最後にテープ月刊誌『北海ジャーナル』のバックナンバーから、後藤寅市氏、金成甚五郎日盲連第3代会長、本間一夫日本点字図書館創設者、岩橋英行世界盲人福祉協議会副会長など盲界を代表する8名の故人の声を披露して締めくくった。  研修会2では、日本失明者協会茂木幹央理事長による「施設経営の課題」をテーマにした講演が行われた。  国立東京視力障害センターの教官であった茂木氏は、ある日の『点字毎日』に「関東地方一都六県で盲老人ホームがないのは埼玉県だけである」という記事を読み考え込んだ。  行動力のある茂木氏は、埼玉県庁に乗り込んで話を聞くと、「埼玉県には盲老人ホームを作る運動がない」といわれ、それならば自分が音頭をとって作ろうと、「100円募金運動」を開始。難色を示す父親を説き伏せて、故郷である埼玉県深谷市に約2,500平米の土地を確保。深谷市長と建設予定地の周辺住民から同意書を取り、深谷市自治会連合会に呼びかけて募金運動を推進し1,678万余円を集めた。それに日本小型自動車振興会(現・公益財団法人JKA)の補助金に県などの助成金を加えた1億8,000万円で、昭和54年(1979)4月に盲老人ホームひとみ園を開設。その後、特別養護老人ホーム、身体障害者福祉ホーム、盲人ホーム、訪問介護事業所などを開設し、同法人を発展させて現代に至るまでの難行苦行を、辛辣なアイロニーにユーモアを交えて語った。  交流会は、サプライズとして和波孝禧氏が登壇し、音楽に理解の深かった後藤寅市氏との思い出を語りバイオリンの小曲を演奏し、乾杯の音頭をとった。  会場内には、十勝名物の「豚丼」、ラクレットチーズ(十勝野菜・バケット)、ローストビーフの屋台もならび地元ならではの料理に参加者の誰もが舌つづみを打った。   大会二日目  6月21日には、日盲社協長岡雄一常務理事の司会進行で、「スマートサイトについて ―― 現状と課題」と題して、日本ロービジョン学会理事で勤医協札幌病院眼科副科長の永井春彦医師が、下記のような趣旨の講演を行った。  スマートサイトとは、治療等による改善が期待しにくい視覚障害リハビリテーションを必要とされる人々を、それぞれのニーズに対応できる専門機関につなぐためのホームページやリーフレットのことで、2005年に米国眼科学会のプロジェクトとして開始され、日本では2010年以降、都道府県単位で実施されている。  2019年5月末現在34都道府県(市)で運用中で、残りの県でも今年度準備に着手し、1〜2年後には全都道府県でスマートサイトの運用が実現する予定で、そうなると日本眼科医会が全国版スマートサイトとして運用する計画だ。  本講演と同時に北海道ホテル内の別会場「樹海の間」では、「受賞ボランティア懇談会」が開催された。  式典では、例年どおり、ボランティアに対する感謝状贈呈、永年勤続職員に対する表彰状贈呈、援護功労者ならびに主管施設への感謝状贈呈が行われた。  そして最後に、次期第68回大会の主管施設である滋賀県立視覚障害者センターを代表して、指定管理者である滋賀県視覚障害者福祉協会の大橋博会長より「10月からNHK朝ドラが十勝を舞台にした『なつぞら』から、滋賀県を舞台にした『スカーレット』になります。来年の大会は、戦国時代の武将が駆け抜けた近江の地、滋賀県の琵琶湖畔にある城下町・彦根市でお会いしましょう」と呼びかけがあった。   アピール  日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)は1953(昭和28)年に結成され、先人の熱い思いを継承しながら、それぞれの時代における視覚障害者のニーズに対応してきました。黎明期の昭和の時代、安定期の平成の時代、そして5月には新たな期待を込めて令和の時代を迎えました。  日盲社協の目的は「社会福祉関係機関並びに団体と緊密な連携のもとに、盲人福祉施設事業の育成強化を図り、多様な福祉サービスがその利用者の意向を尊重して総合的に提供できるよう創意工夫することにより、利用者が、個人の尊厳を保持しつつ、自立した生活を地域社会において営むことができるよう支援すること」と定款第1条に謳われています。この目的の実現のためには、我が国唯一の視覚障害者関係施設の集合体としての役割を再認識し、ともに手を携えた積極的な取り組みが必要となります。  日盲社協を形成する、点字出版部会・情報サービス部会・自立支援施設部会・生活施設部会・盲人用具部会の事業分野の異なる五つの部会が、専門性を発揮するとともに、日盲社協の構成員として有機的に結びつくことで、視覚障害者の生活の質の向上に対して、よりその真価を発揮することができます。  時代は高度情報化社会と呼ばれている一方で、必要な情報が届いていないことにより辛い日々を送っている視覚障害当事者が多いという現実から目をそらすことはできません。もっと早い時期に日盲社協加盟施設の存在を知っていたならば、自立への第一歩を早めることができたと考えると、その責任は大きいと受け止めなければなりません。私たちの役割は、待つのではなく自らが当事者に近づく姿勢を示すことであります。そのためには、見えない・見えにくい人が最初に接する眼科医との関わりも重要であり、各地域に結成される傾向のある眼科医と関係施設・団体等が連携する「スマートサイト」の活用が効果的です。眼科医による治療の先に福祉があるのではなく、治療と並行して福祉が関わることで当事者に対する空白の時間を作らないという取り組みが、その先の当事者の人生の後押しとなります。  本大会の開催地である北海道は、開拓者の方々が大変な苦労を乗り越えて、未開の地を現在の姿に導きました。連続テレビ小説100作目の「なつぞら」で、ヒロインの「なつ」が育てられた柴田牧場では、草刈正雄扮する十勝の頑固爺さん柴田泰樹が明治35年に十勝に入植して荒れ地を切り開いたという設定になっています。日盲社協もまた、新理事長を迎えての新たな体制により、養護盲老人ホームの措置控えの解消や同行援護事業の充実など数々の障壁を乗り越えるために、5部会の力を結集して令和の時代を歩みだすことを、十勝の地で高らかに宣言します。  令和元年6月21日 第67回全国盲人福祉施設大会   大会決議  1.選挙公報は、国民の基本的人権である参政権行使のための重要な情報源であり、「公職選挙法」では国政等の選挙で発行が義務づけられています。視覚障害者等のために発行される点字版・音声版・拡大版の「選挙のお知らせ」も、選挙公報として発行が義務づけられることを強く要望します。  また、「選挙のお知らせ」が有権者に届けられていなかったり、投票所においては、秘密保持の問題事例や盲ろう者等視聴覚障害者が適切な支援がないために選挙権が行使できなかったりしています。都道府県の選挙管理委員会に対し、こうした事例が改善されるよう指導強化を切に要望します。  1.点字出版所は視覚障害関係事業の中で最も古い歴史があり、視覚障害者の社会進出と社会参加を支えて来ました。主な事業である点字教科書・点字図書・点字版選挙公報・各種広報誌の安定供給には、点字製版機や印刷機を常に万全の状態に維持する必要があります。そのため、点字製版・印刷機の新規購入や保守管理等の費用について補助されることを強く要望します。  1.国の「第4次障害者基本計画」に則り、身体障害者社会参加支援施設の設備及び運営に関する基準、第五章視聴覚障害者情報提供施設の「点字図書館の職員の配置の基準」について、施設の現状と専門性から「情報・相談支援員」の配置と補助金の加算を要望する。  1.機能訓練サービスについて、視覚障害者の多様なニーズや支援の専門性の観点から短期、長期の利用が可能となる柔軟な制度の運用、福祉資源の乏しい地域の解消のための制度の見直し並びに専門職の養成の充実を要望します。  1.盲導犬(補助犬)育成については、平成30年度より地域生活支援推進事業に位置づけられたところであるが、60%を下回る盲導犬育成経費の公的支援率を上げる取り組みと、年間1500回を超えるフォローアップ訓練に訓練費の助成が支給されるよう制度の見直しを要望します。  1.同行援護サービスについて、通所・通勤・通学目的の利用においても適正なアセスメントとサービス利用計画の下、制度利用ができるよう要件の見直しを要望します。  1.盲人ホーム事業の安定的運営のための助成金の増額を要望します。  1.最近は、視覚障害者が養護盲老人ホームへの入所を希望しても、措置控えをする市町村が多くなっているため、視覚障害者の盲老人ホームへの入所が実現しにくくなっていますので、国は早急に措置控えを解消するように全国の市町村を指導されるよう要望します。  1.養護盲老人ホームの施設使用料の基準は39段階から成り立っているが、これを例えば45段階等に改め、少し年金収入の多い視覚障害者も盲老人ホームに入所できるよう国は盲老人ホームの入所要件を改善されるよう要望します。  1.養護盲老人ホームの入所者の自立と社会参加を促進するため、盲老人ホームの入所者も同行援護制度を利用することができるよう国は早急に配慮されたい。  1.65歳を過ぎてから失明した視覚障害者も、グループホームに入居できるように国はグループホームの入居基準を改善されるよう要望します。  1.日常生活用具に関する給付について、地域格差がないよう、公正な用具認定がされるよう、各市区町村への指導を要望する。  1.各市区町村の福祉課窓口で視覚障害者に対しては日常生活用具等の給付事業内容について説明することを要望します。  令和元年6月21日 第67回全国盲人福祉施設大会     コミュニケーションで顧客満足度をアップ     ―― 令和元年度三療セミナー報告 ――  8月2日(金)、東京・上野の東京文化会館において、日本盲人社会福祉施設協議会盲人ホーム杉光園が主催する第2回三療セミナーが開催された。  本セミナーでは、日本鍼灸マッサージ協同組合理事長の堀昌弘氏(74歳)を講師として招き、「コミュニケーションの観点から臨床リスクを考えてみよう」というテーマで、下記の講演を行った。  前半では、まず堀氏の経歴が語られた。  堀氏は中学2年生(13歳)の時に失明したが、教師から「盲学校に行きなさい」と言われた時の辛さ・哀しみは、今でも表現することができないという。また、昭和30年代前半の時代背景もあるが、同級生から放たれた言葉が耳から離れない。  「あん摩さんになるんか」、「めくらの学校へ行くんか」  無邪気さゆえの言葉だったとは思うが、それでも深く傷ついた。反発するように、「一流のあん摩師になろう」と決め、県立和歌山盲学校へ転校した。  中学校を卒業すると同時にあん摩業者にも弟子入りして高校生活と両立させ、あん摩・マッサージ・指圧師、はり師、きゅう師の三資格に合格。その後開業して従業員を増やし、規模を大きくした。  治療師たちの多くも、北は秋田から南は九州に及ぶ全国各地の盲学校を卒業した視覚障害者で、現在34名の治療師と彼らを支える4名の従業員が力を合わせて、「楽しく、たくましく」をモットーに働いている。  堀氏は自身のことを「貪欲」であると言うが、その姿勢に傲慢さは微塵もない。ただ、お客様へ最高のサービスを提供したい、という誇り高き精神を表現しただけである。しかし、そのまっすぐな意思が経営者としての首を絞めることになった。  それは28歳の時だった。温熱療法も施術できる風呂つきのマッサージ治療院を建てようと決意し、銀行から無担保で7,000万円の融資を受けた。しかし、融資といっても、それは借金である。家族を養い、従業員に賃金を支払えば、返済に回せる金などどこにもない。3年経つと、借金は膨れ上がり1億円となった。当時、マッサージ師の時給は900円〜1,000円。どうして1億円を返せばいいのか。不安で眠れない日が続くが、もう打つ手がなくなった。そんな折、時代が堀氏に味方をした。障害者雇用促進法で、障害者1人につき月額10万円が国から助成されることとなったのだ。堀氏は30名ほど視覚障害者を雇用していたので、月に300万円が支給され、ようやく1億円の負債を返す資金を手にしたのだった。それからは順調に事業は進み、マッサージ師の育成にも力を入れ、(株)堀治療院から巣立った卒業生は176名にもなる。そしてその卒業生たちは成功をおさめており、それを語る堀氏は喜びに顔をほころばせていた。  後半では、視覚障害者に求められるコミュニケーションについて語られた。  現在、無免許のマッサージ師が増えてきている。駅周辺には、マッサージの看板が立ち並ぶが、その多くで無免許のマッサージ師が施術している。中をのぞくと、無免許のマッサージ師を抱える店舗のほうが繁盛していることも多い。  有資格者が無免許に負ける。その理由を堀氏はこう考える。  「コミュニケーションができない店に、お客様は来ないですよ」  看板があるかないかが問題ではない。施術能力よりも、コミュニケーション能力が重要視される時代なのだ。マッサージ業が接客業であることを忘れた有資格者は、スペシャリストではなくなる。  昨今、医療過誤と苦情との線引きができないほど、訴訟内容が感情的問題となってきている。たとえば、皮膚を温めれば、赤くなる。それはごく普通のことである。しかし、赤くなった皮膚を見て、利用者側が不信感を抱いたらどうなるだろう。赤みについて、自己判断を下し、医師を巻き込み、訴訟問題となることもあるだろう。コミュニケーションを通し、信頼関係を築いて初めて、利用者側は経過を安心して観察することができるのである。そして、利用後の満足度も上がる。  「視覚障害は決してハンデではありません。点字を触読できる指先の繊細さは視覚障害者にしかない才能です。だからこそ、三療は適材適所なんです」  そう強く言い切る堀氏は、三療を視覚障害者の天職であると信じている。視覚障害だからといって、補助をしていると、人は育たない。自分の力で動くよう指導し、自分でつかみとる力を育てていかねばならない。その先でコミュニケーション能力は生まれる。時代に求められる才能を育てたい、という思いを力強く語り、講演は盛況のうちに終了した。(編集部)       誌上慶祝会     株式会社日本テレソフトの「経済産業大臣表彰」を祝う     株式会社ラビット代表取締役 荒川明宏  このたびは、経済産業省の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定されたことによる経済産業大臣表彰、まことにおめでとうございます。「たゆまぬ創意工夫と勤勉な取り組みにより国際競争力の向上や地域経済に寄与した」ことが、高く評価されての受賞と聞いております。  私は販売店、点字ユーザーの立場で、20年余り貴社・日本テレソフトと関係を持っています。私が「すごいな」と最初に思ったのは、郵便局の通帳の内容を月に2回送ってくるというサービスです。実際のサービスは郵便局が行っていましたが、「点字印刷」という裏方の部分でいろいろな工夫の上に成り立ったサービスだったのではないかと推察します。  「点字」は読む人が主役です。しかし、誰かが作ってくれないと、点字を読むことはできません。貴社は、「健常者が点字を作りやすいようにする」というコンセプトで、取り組んできたのではないかと思います。  音が非常に静かな点字プリンタ、そして、その点字プリンタを使いやすくするソフトウェア、この連携により、点字を製作するハードルを下げることができたのではないでしょうか。  また、近年はODAを通じて海外への展開も積極的に行っておられます。点字印刷用のソフト、点字を印刷するプリンタ、それを打ち出す紙と一体的なサービスが行えるからこそ、海外支援が実現できているのだと、その技術、コンセプトに心から敬意を表します。  さらに、様々な海外の製品を日本に紹介しています。点字ディスプレイの「清華」、拡大読書器など幅広く事業展開を行っておられます。実際には商品にはならなかったのではないかと思いますが、以前、会社にお邪魔したときに、盲導犬と歩くための訓練用のハーネスまで見せていただいたことがあります。視覚障害者にとってどのようなサービス、製品がよいのか、実際にはやってみないとわかりません。会社として様々なものに好奇心を持ち、取り組む姿は、見習うべきものが大いにあると、経営者のひとりとして感心し、尊敬しております。     原田良實さんにヘレンケラー・サリバン賞  第27回ヘレンケラー・サリバン賞は中途失明者が習得しやすい点字指導法を考案・普及した名古屋ライトハウス理事の原田良實氏に決定し、10月1日に東京ヘレン・ケラー協会で贈賞式が行われ、本人に本賞(賞状)と副賞としてヘレン・ケラー女史直筆のサインを刻印したクリスタル・トロフィーが贈られた。  文部省図書館職員養成所(現・筑波大学図書館情報専門学群)を1964年に卒業し、同年4月に名古屋市職員として採用された同氏は、「鶴舞中央図書館」に配属され、司書として25年間勤務する。  中途視覚障害者への点字指導は1970年から始めるが、1972年にベーチェット病患者友の会と支援の会が結成されると、点字指導の希望者が増えてきて問題が出てきた。セオリーどおりに点字指導を行うと、必ず落ちこぼれが出てきたのだ。そこで自分で触読に挑戦してみると、これができない。自分ができないことを無理強いしてきたのかと、自己嫌悪に陥りながら本格的に触読の研究を始めた。  先人の文献を紐解き、試行錯誤の連続で研究を重ねた結果、それまでタブー視されてきた「縦読み」でなら自分でも読むことができた。点字は六つの点で構成されるが、まず1と4の点を探り、次に2と5の点、そして最後に3と6の点を順に探り、何番の点があるのかを確認するのだ。そうすると6つの点すべてがある「メ」とか、123の点だけがある「ニ」など、分かりやすい8つの点字がまず認識できた。  こうして、1977年頃から異端と後ろ指を指されながら「縦読み」による点字指導を開始。彼自身この方法が万能だとは思っていなかったので、ある程度読めるようになった人には、オーソドックスな横読みを薦めた。  地道な点字指導だったが、中途失明者が点字を読めるようになり、盲学校に入学すると、彼の活動は各方面から注目された。  鶴舞中央図書館には後継者もできたので1989年4月、市役所を退職して社会福祉法人名古屋市福祉健康センター事業団に視覚指導課長として入職した。  点字指導の「名古屋方式」が日の目を見るようになったのは、この事業団時代の2000年からであった。この年、原田氏は日盲社協リハビリテーション部会(現・自立支援施設部会)の部会長であったが、「点字指導の研修」をやって欲しいという強い要望が出たことが切っ掛けだった。  日盲社協での研修会の翌年から国立特別支援教育総合研究所の研究員・澤田真弓氏と点字触読指導法の研修会を開催し、縦読み、通常の点字より点間が広く・点も高い「L点字」の触読指導が広く認められるようになった。  そして、2004年に読書工房から『中途視覚障害者への点字触読指導マニュアル』が、澤田氏との編著として上梓されてから「名古屋方式」が全国に広く普及するようになったのである。(編集部)     楽しい生活ができる盲老人ホームを目指す茂木さん     日盲社協参与/視覚障害者支援総合センター前理事長 高橋實  第49回毎日社会福祉顕彰を日本失明者協会理事長茂木幹央さん(83歳・全盲)が受賞した。心からお慶びを申し上げるとともに、わが事のように嬉しく思っている。  彼は「欧米では200以上の職業に盲人が従事している」という話に触発されて、理療以外の仕事に就くため大学進学を思い立ち教師に相談した。しかし、「理療という安定した仕事を無視して、大学進学という無謀なことには賛成できない」と取り合ってくれなかった。そこで、自分が思いつく23大学に「点字で入試を認めて欲しい」と手紙を出したが、すべて断られた。「では膝詰めで拝み倒していくしか道はない」と、直接出かけて1校ずつ訪ね歩いてたどり着いたのが日本大学だった。  彼は私の1年後輩にあたり1959年の卒業で、案の定就職浪人を余儀なくされた。NHKを目指してやっと与えられた「ラジオのモニター」では生活はできない。  浪人仲間だった私が妻と茂木さんのアパートを訪ねた折、「NHKに行くにも電車賃が無く、1本残しておいたネクタイを質屋に入れ食事もパンの耳でしのいでいるが、今日は妹が家から新米を届けてくれたので食べていかないか」と言われ、炊きたての御飯に塩をかけてご馳走になった。  浪人に終止符を打つため、当時ワンマン理事長で知られていた加藤一郎氏の「千葉愛光」に茂木さんはお世話になった。頑張り屋の彼は必要に迫られ、理療の免許を取るため渋谷の晴眼養成施設「花田学園」の夜間部に通って鍼灸の資格を取った。その後、国立東京視力障害センターの選考試験を受け、1964年8月厚生教官として採用され、ようやく安定した職場を得た。  しかし、彼の夢はこれで終わらない。私が『点字毎日』で担当していた「読者の広場」に「埼玉県には盲老人ホームが無い……」という投稿がきた。さっそく聖明福祉協会の本間昭雄先生に電話で確認し、1975年9月の「読者の広場」に「嗚呼悲しい盲老人」(埼玉県一読者)として掲載した。  それを読んだ茂木さんは、「深谷市に親の農地がある。これを借りて盲老人ホームを作り悲しい人をなくそう」と行動を開始。  親との話し合いに始まり、近隣の理解、行政の建設許可、助成金要請等を、東京での本業をこなして夕方地元に戻り一つひとつ解決し、4年半後の1979年に埼玉県深谷市人見に定員50名の養護盲老人ホーム「ひとみ園」を開園した。その後間もなく「園長さんありがとう」という投稿が寄せられ、それも『点字毎日』に掲載した。  そして、ひとみ園は一流ホテル並みで定員120名という増築園舎をこの11月30日に完成させる。「あそこに行けば楽しい生活ができる」と言われるような盲老人の終の棲家を追求した結果である。  彼は2009年には11代目の日盲社協理事長に就任し、日盲社協会館を建設。2011年には第5回塙保己一賞大賞を受賞した。  彼の夢は果てしないが、日本失明者協会6施設9事業を145人の職員とともに運営発展させていくためにも、彼の長寿と健康を祈るのみである。     第11回太陽福祉文化賞  選考委員会(寺尾徹委員長:全社協常務理事)は、5月15日に東京・グランドヒル市ヶ谷において開かれ、慎重に審査されました。  太陽福祉文化賞は、全国盲老人福祉施設連絡協議会(全盲老連・中村秀一理事長)が、創立40周年を記念して、視覚・聴覚障害者の福祉向上のため尽力された個人や団体を顕彰するために「太陽福祉グループ」の協力を得て創設したもので、今回で第11回目となります。  贈呈式は6月5日、大阪市のホテル日航大阪において開催された全盲老連の総会において行われ、全国の盲老人ホームから参加した施設長80名から大きな拍手が送られました。次に、表彰された方々の功績を感謝を込めて紹介いたします。   1 実践功労賞 1名  飯嶋昌子氏 (社福)萱垣会光の園  ホームヘルパー(勤続41年)  光の園開設時からの永年勤続者で、産休後も短期間で復帰し、女性の社会進出が盛んでなかった時代にもかかわらず家庭や育児と仕事を両立させてきた。しかも、長年の経験を活かし、萱垣会が運営する養護盲老人ホーム、特別養護老人ホーム、デイサービスセンター、ホームヘルプセンターにおいて後進の指導にあたり、次世代の中核となる職員育成に尽力している。   2 実践貢献賞 1名  西田惠美氏 慈母園華道クラブ指導者  53年の長きにわたり、慈母園において月2・3回、華道クラブを主宰し、ほとんど華道とは縁の無かった視覚障害者、多いときは30人に対して、季節の花の香りや形を感じながら生けることができるように指導してきた。また、10年前からは月2回華道クラブを行いながら、別途、月1回、お話し会を主宰している。   3 研究奨励賞 1グループ  全盲老連関東・甲信越地域生活相談員連絡会(12施設・31名)  研究テーマは「高齢視覚障がい者のためのレクレーション」で、研究期間は平成24年11月〜平成28年2月。  研修会を開催し指導方法を学び、検証を行いガイドブックやDVDを作成し、各施設での実践や職員教育に活用している。(編集部)     わが施設の今 第2回東京点字出版所     理事長 肥後正幸  東京都三鷹市にある東京点字出版所(東点)は一昨年度、社会福祉充実残額が生じたこと、従来の社屋が築40年を過ぎ老朽化していたこと、現在の耐震基準にそぐわないこと、アスベストを使っていたことなどを総合的に判断し、鉄骨造3階建、延床面積521.54u、総工費1億9400万円による改築を決断しました。  工事は昨年の9月1日に開始され、本年7月12日に落成しましたが、7月4日公示、同21日投票で参議院議員選挙が行われたため、「点字公報」作成に追われ、新社屋へ引っ越したのは7月末で、新社屋での事業開始は8月5日になりました。  東点は大正15年4月1日、祖父・肥後基一が月刊点字雑誌『鍼治マッサージ』や医学書を中心とした点字図書を発行するために西新宿に創立した日本鍼按協会が基になっています。その後、盲学校鍼按科用教科書全18冊を編纂・発行し、20年間にわたり全国の盲学校で使われました。  昭和19年戦時統合により東京光の家出版部と合併して、東京点字出版所と改称し、東京都杉並区に移転。盲学校中等部用普通科教科書『国語』『地理』『歴史』『修身』『公民』を発行しました。  昭和27年に東京光の家と分離し、現在地へ移転。昭和33年社会福祉法人が認可され、前社屋(鉄筋・鉄骨地下1階付3階建、延床面積505.44u)は、昭和50年日本船舶振興会からの補助金を受けて建設しました。  昭和53年に父・肥後信之が第2代理事長に就任し、私は平成16年に父の死を受けて第3代理事長に就任しました。  東点の事業は創業の理念を守り、現在も視覚特別支援学校小学部・中学部・高等部の普通科・理療科の教科書を中心に製作しています。特に文部科学省著作教科書は50年以上にわたり発行し、国語辞典・古語辞典・英和辞典・和英辞典ほか、外国語の辞書類も多数発行しています。鍼灸・医学関係の記事を取り扱う月刊雑誌『点字の友』も継続・発行しています。  東点は触図(図版)を得意としており、教科書の他、児童向け図鑑、日本地図・世界地図を独自編集で発行しています。  創業当時の事業に加え、現在は生活に役立つ図書も手がけ、職員17人で点訳から製本・発送までを一貫して行っています。     令和元年度点字指導員講習会報告     点字指導員研修委員会委員長 大澤剛  日盲社協情報サービス部会(担当:点字指導員研修委員会)は、8月30日(金)〜 31日(土)の二日間、東京の「大田区産業プラザPiO」4Fコンベンションホールを会場に、「令和元年度点字指導員講習会」を実施しました。今年は、点字指導員有資格者対象の講習会で、点字表記法の改定や『点訳のてびき 第4版』が発行されたこともあり、約160名の方が受講してくださり盛況でした。  研修内容は、下記のとおりです。  初日の講義1は、「『日本点字表記法2018年版』について」のテーマで、日本点字委員会金子昭副会長(『日本点字表記法2018年版』編集委員会委員長)を講師に行いました。  続いて、講義2は、「点字表記辞典について ―― 第7版の発行を中心に」のテーマで、『点字表記辞典』の発行元である視覚障害者支援総合センターの飯田三つ男氏を講師に行いました。  二つのテーマが、点字の新表記・点字の表記に悩んだときに使用される書籍に関する事柄だったため、受講者の真剣なまなざしが印象的でした。私個人としても、『表記法』と『表記辞典』について多くのことを再認識するよい機会となりました。  二日目の講義3は、一日を通して点訳に必須となる「『点訳のてびき第4版』の概要と第2章・第3章について」発行元の全視情協点訳委員会野々村好三委員長(京都ライトハウス情報ステーション)と同委員会脇野協子委員(滋賀県立視覚障害者センター)の二人の方に講義をしていただきました。  『点訳のてびき』を使用して点字指導している方がほとんどだったことから、「質疑応答・情報共有」では、「てびき」の解釈や点訳・講習の際の課題についてかなり突っ込んだ質疑もあり、熱気あふれる講義となりました。  今回は、初めての会場で行いましたが、環境も良く、充実した講習会となりました。  来年は点字指導員認定講習で、オリンピックとパラリンピックが東京で開催されることから大阪での開催を検討しています。  最後になりますが、講習会で講義を引き受けてくださった講師の皆様、支えてくださったスタッフをはじめ、講習会に参加してくださった皆様に感謝申し上げます。  ほんとうにありがとうございました。 (三重県視覚障害者支援センター職員)     情報化対応支援者講習会報告     ―― 第10回情報機器コース ――     情報機器等研修委員会 委員長 岡田弥  日盲社協情報サービス部会は、7月31日〜8月2日、日本ライトハウス情報文化センター(大阪市)で、標記講習会を20団体23人の参加で次のように実施した。(以下、敬称略)   <第1日目> ・講義1「AIスピーカーの活用」品川博之 ・講義2「最新機器の紹介」川崎市視覚障害者情報文化センター 渡辺明   <第2日目> ・講義3「パソコン音声操作の基本」日本ラ  イトハウス情報文化センター 松本一寛 ・講義4「iOSの視覚障害者向け設定」徳島県立障がい者交流プラザ視聴覚障がい者支援センター 阪井紀夫 ・講義5「iOSアプリ・周辺機器いろいろ」  福島県点字図書館 野地美行 ・講義6「電話サポートについて」日本ラ  イトハウス情報文化センター 松本一寛   <第3日目> ・講義7「ロービジョンあれこれ」日本ラ  イトハウス情報文化センター 岡田弥 ・講義8「情報交換会」司会:視覚障害者 生活情報センターぎふ 山村友梨子  今年は新たな試みとして、話題になっているAIスピーカーを詳しく取り上げた。話しかけるだけでいろいろなことができるので機械操作が苦手な視覚障害者に有効だと思われるが、Wi-Fi環境が必要であったり、アカウント取得の上初期設定が必要であったりと意外に課題も多いことがわかった。  また、今年は基本に帰るというということで、パソコンの音声操作の基本やiOSの視覚障害者用設定を取り上げたが、「初めて知った」「もっと聴きたかったのに、時間が足りなかった」と好評であった。  本研修会も10回目となり、何度も参加している人と初めての人が入り交じる中、どのような内容が求められているかをしっかり把握した上で、講義内容を吟味して、参加者の増加に努めていきたい。また、ここ数年大阪での開催が続いているので新たな受講者を呼ぶべく、他地域での開催も検討していきたい。     岩橋明子さんを偲ぶ     日本点字図書館 理事長 田中徹二  日本ライトハウス会長の岩橋明子さんが6月17日逝去されました。享年90、心不全でした。  明子さんと私の最初の出会いは、たぶん1970年ぐらいではないかと思います。当時、日本ライトハウスは米国から講師を呼び、歩行訓練士の養成を始めたので、そんな折にお会いしたのかもしれません。  ご主人の英行氏は、晩年、世界盲人福祉協議会(WCWB)の副会長を務めておられましたが、外国の役員たちの中では、英行氏を手引きし、流暢に英語の通訳をする明子さんにシンパシーを感じている人がとても多かったのでした。  私が明子さんについて最も印象に残っているのは、2010年10月1日東京ヘレン・ケラー協会のヘレンケラー・サリバン賞の贈賞式のときでした。  当時、同賞の選考委員長をしていた私は、賞状と副賞のヘレン・ケラー女史の直筆のサインを刻印したクリスタル・トロフィーを、明子さんに手渡しました。  そのときの明子さんの喜びようは感動的なものでした。選考委員長をしていた2000年から2016年までの間、17人に賞を渡しましたが、明子さんほどこの賞を喜んだ人はおられません。1955年のヘレン・ケラー女史来阪の折、近くで接遇した思い出を回想し、「女史の名を冠した賞をいただいて嬉しい」とおっしゃっていました。  「視覚障害者は、何らかの形で晴眼者からのサポートを受けて生活している。それに対して視覚障害者の立場から感謝の意を表したい」というこの賞の趣旨を正しく受け止めておられると思いました。  そこには、英行氏の死を止めることができなかった強い後悔もあったのではないかと思います。  英行氏は、1984年1月16日に亡くなりました。その知らせは、「58歳という働き盛りなのにどうして?」という疑問とともに、全国を駆け巡りました。  当時、世界にはWCWBと国際盲人連合(IFB)という二つの盲人団体がありました。WCWBはいわゆる「for the blind」で、IFBは「of the blind」で、わが国でもforとof の議論がかしましかった頃です。この双方を合併させ、もっと力の大きな団体を作るべきだという主張が国際的に高まっていました。  英行氏は、アジア地域での意見統一を図るための会議を日本で開こうとしたのです。ところが、国内の反発はものすごくて、とても国際会議が開ける状況ではありませんでした。反発だけでなく、「自分が会長になろうとしている」という誹謗さえ浴びた英行氏は、WCWBで提案したことが実現できずに絶望されたのだと思います。  「主人は憤死でした」という明子さんのコメントも残されています。  明子さんは、英行氏のあとを受けて、日本ライトハウスの理事長に就任されました。しかし、明子さんにとって、それは重荷だったのではないかと私は想像します。英行氏を支えていくことが、自分に課せられた役割で、それがもっともふさわしいとご自身が確信しておられたのだと思います。のちにサリバン賞での喜びようは、その苦難を乗り越えて、自分の役割をきちんと果たしたのだという気持ちを表しているかのようでした。  2000年、メルボルンで世界盲人連合(WBU)の世界大会が開かれました。最終日に、明子さんが私の家内に、「もう少しゆっくりしていくわ。ワイナリーを回るのが楽しみよ」とにこやかにおっしゃったそうです。  本大会でWBUの終身名誉会員に推戴され、その前年に、理事長職を故木塚泰弘さんに譲ることができ、ようやくほっとしておられたのだと思いました。  明子さんは、兵庫県豊岡市の生まれです。神戸女学院専門学校英語科を卒業され、燈影女学院に奉職されました。その後、英行氏と結婚し、2年半後には当時の日本ライトハウス理事長の岩橋武夫氏が逝去されます。そこで、若くして理事長を継いだ英行氏とともに重責を担っていくことになるのです。若干25歳、普通の主婦とは異なる道を歩むことになりました。  国際的な活動でも、1984年には、アジア眼科医療協力会常任理事に、1985年にはその前年WCWBとIFBが合併してできた世界盲人連合(WBU)リハビリテーション・訓練・雇用委員会の委員に、また1999年には、世界失明予防協会(IAPB)日本代表委員に就任されています。  こうした活動によって、1992年に外務大臣表彰、2012年に内閣総理大臣表彰を受賞されています。  昨年の11月24日、日本ライトハウスは記念事業として、「ヘレン・ケラー女史没後50年を偲んで〜ヘレン・ケラー女史と岩橋武夫」を大阪中央公会堂で開催しました。私は、車いすに乗って出席された明子さんと久しぶりにお会いすることができ、しっかり握手して、短い言葉を交わし、お互いに認識しあったことは忘れることができません。  最後に、岩橋明子さんの長年の大きな働きにあらためて敬意を表するものです。     不便さを解決してくれるユニークなアイディアなどがたくさん!     “とっておきのアイディア”コンテスト     共用品推進機構 森川美和  2019年11月3日(日)、「サイトワールド2019」(東京都墨田区)の会場内で、「第4回 目が見えない・見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト表彰式」(日本点字図書館/共用品推進機構主催)を開催しました。  世の中にある製品のほとんどは、主に障害のない人たちが考え作っています。そのため、障害のある人たちにとっては、使いづらいものが存在しています。  それを解決する一つの方法として、「目が見えない・見えにくい私だから考えついた“とっておきのアイディア”コンテスト」を実施しています。  新たな製品を考える時や、今ある製品をよりよいものにするために、障害のある人たち自らアイディアを考え、その考え方のポイントを企業等の人たちに知ってもらえば、今後生み出される製品が使いやすく変わっていくのではないかと考えています。  今年度、盲学校の部で最優秀賞に輝いたのは、小学1年生の「らくらくるーぺ」でした。  幼稚部や小学部の低学年の視覚障害のある児童のニーズであり、学習を主体的に深く進めるために必要な作品でした。  一般の部の最優秀賞は、視覚障害のある人だけでなく多くの人にとって嬉しい夢のあるアイディアで、「手袋になるハンドクリーム」でした。  作品の選定に関わった審査員からは、「とても夢のある作品が多く面白かった」、「今後は具体的で実現可能性の高いものがもっと出てくることを期待したい」等の総評がありました。  この“とっておきのアイディアコンテスト”の審査基準は、主に以下の三つです。  1.夢のあるもの(非現実的なものであるが、夢があり希望が持てるものなど)  2.実現可能性があるもの(現実的であり、製品化可能なもの、あるいは少しの工夫で製品化ができそうなものなど)  3.ユニークさ(斬新さ)があるもの(アイディアの内容がユニークであり、楽しみの持てるものなど)  このようなコンテストは他にはないので、継続していければよいなと思っております。     日盲社協事務局だより   義援金にご協力を  日盲社協は日本盲人福祉委員会の被災視覚障害者支援対策本部の構成団体として、この秋の九州を中心とする豪雨と、中部日本・東日本への台風により被災した視覚障害者救援のため義援金を募集し支援活動を行います。第一次募集期間は10月25日〜11月30日です。払込手数料はご負担をお願いします。  郵便振替 00110-9-13663  加入者名 社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会  ※通信欄に「義援金として」とご記入ください。   新役員等紹介(任期満了に伴い6月15日に改選)  名誉会長:本間昭雄(聖明福祉協会会長)  参与:高橋實(視覚障害者支援総合センター前理事長)  理事長:舛尾政美(山口県盲人福祉協会理事長)  常務理事:長岡雄一(東京視覚障害者生活支援センター所長)  常務理事:荒川明宏(株式会社ラビット代表取締役社長)  理事:茂木幹央(日本失明者協会理事長)  理事:肥後正幸(東京点字出版所理事長)  理事:岡本博美(山口県盲人福祉協会点字図書館館長)  理事:山下文明(名古屋ライトハウス専務理事・法人本部長)  理事:吉川明(公益財団法人日本盲導犬協会専務理事)  理事:岡村原正(株式会社ジェイ・ティー・アール代表取締役)(新任)  監事:秋山寛(公益財団法人社会福祉振興・試験センター参与)  監事:島田功(島田税理士事務所所長/税理士)  評議員:杉山欣司(株式会社サン工芸代表取締役)(欠員により選任、5月30日〜)   名称・住所等変更   <点字出版部会> ◆日本盲人会連合点字出版所 → 日本視覚障害者団体連合点字出版所 ◆東京点字出版所(建替に伴い、一時移転先から8月5日に元の住所へ)  元の住所(電話等は移転の間も変更なし) 〒181-0013三鷹市下連雀3-32-10   <情報サービス部会> ◆日本盲人会連合情報部 → 日本視覚障害者団体連合情報部   <自立支援施設部会>  日本盲人職能開発センター → 日本視覚障害者職能開発センター  新E-mail:shokunou@jvdcb.jp  新URL:https://www.jvdcb.jp   <生活施設部会> ◆山口県盲人福祉協会居宅介護事業所・山 → 山口県盲人福祉協会ヘルパーセンター山風(訪問介護・山) ◆山口県盲人福祉協会身体障害者居宅サービス事業所・風 → 山口県盲人福祉協会ヘルパーセンター山風(障害福祉・風)   施設長等変更   <点字出版部会> ◆名古屋盲人情報文化センター点字出版部  新施設長 岩間康治   <情報サービス部会> ◆広島県立視覚障害者情報センター  新所長 橘高則行 ◆名古屋盲人情報文化センター図書館事業部 新施設長 岩間康治   <自立支援施設部会> ◆ヘレン・ケラー学院  新学院長 奥山博史(法人理事長兼務) ◆日本盲人職能開発センター  新施設長伊吾田伸也 7月〜 『日盲社協通信』は下記から読むことができます。  http://www.ncawb.org/     編集後記  このたびの令和元年台風19号等の被害に遭われた皆様に、衷心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧・復興と、被災された皆様が平穏な日々を取り戻せるよう、お祈り致します。  日盲社協では「事務局だより」にあるとおり、義援金を募集しております。皆様の温かいご支援をお待ちいたします。  本年10月より日本盲人会連合は、日本視覚障害者団体連合に、日本盲人職能開発センターは、日本視覚障害者職能開発センターに名称が変更されました。しばらくは本誌に新旧両方の名称が掲載されることもありますのでご注意ください。  極めて煩わしくなるので、原則として法人名に冠される「社会福祉法人」は省略しております。ご了承ください。  小誌前号(Vol. 78)の「編集後記」に、「橋秀治氏が日盲社協理事長を退任されました。私は同氏に請われて広報委員長を引き受けた経緯があり、今後、どのように対応したらいいのか苦慮しています」と書きましたところ。  「『日盲社協通信』読んでびっくりしたで、えらいこっちゃ。ようも、あんなしょうもないこと書いたな。勝手に広報委員長を辞任するなど許されへんで。そんなけったいな話があるか!」。少し誇張しているかも知れませんが、先輩からこのような趣旨の抗議の電話をいただきました。  さらに念押しのように、舛尾理事長からも広報委員長を引き続き務めるよう説得されましたので、今号も老生が編集作業を行っている次第です。  次号の『日盲社協通信』は令和2年4月に発行する予定です。(福山博)   情報提供のお願い  本誌に対する情報提供・要望・苦情・意見・感想は、日盲社協広報委員長福山博宛、郵便やEメール(fukuyama@thka.jp)でお送りください。お待ちしております。 本誌は、こくみん共済 coop <全労済>の助成により作成したものです