第1章 視覚障害者のIT利用の現状

第2章 視覚障害者の就労現場でのIT活用

第3章 在宅雇用への道筋

第4章 視覚障害者雇用に向けての助言

第5章 調査の評価と分析

まとめ

第1章 視覚障害者のIT利用の現状

本報告書のはじめに、IT技術の進歩が視覚障害者のライフ・スタイルにどのような影響を与えてきたか、そして、現状はどのレベルにあるのかについて報告する。

この章を読んで頂くだけでも、IT技術の進歩と視覚障害者の業務遂行能力が以下にリンクしているか創造していただけるに違いない。

1-1 変遷

まず、視覚障害者の情報環境を改善すべく取り組まれてきたこれまでの経過を概観して見る。

(1) 視覚障害者の技術に対する期待

視覚障害者の読み書きの不自由さの解消を求める運動野動きは、かなり以前から具体化している。

これは、視覚障害者自身がこの不自由さを解消することが、生活面でも、社会参加の側面においても、さらに雇用においてもキーポイントになることを肌で感じていたからにほかならない。

1974年12月、当時、東京教育大学付属盲学校の視覚障害教員長谷川貞夫は、自分の考案した6点漢字入力方式で文字を入力し、それを国立国会図書館の大型コンピュータを介してプリンタで印刷した。

これが、視覚障害者がコンピュータを用いて独力で文字を書いた最初の試みであった。

長谷川は、視覚障害者が漢字かな混じりの文章を入力することさえできれば、コンピュータを用いて自分で文字が書けるようになると確信して、コンピュータ技術に先んじて漢字を点字で表現するための6点漢字を既に1972年に考案していたのである。

時はまだ目の見える人達にとってもコンピュータで漢字を入力する方式が確立していなかった時期である。

この事実は、もちろん長谷川の先見性も大変なものだが、視覚障害者自身がいかにコンピュータの技術に期待を寄せていたのかということを如実に物語っている。

(2) 視覚障害者用ワープロの製品化

視覚障害者の「障害」のハイテク機器による解消を目指す動きは、まず「書き」の不自由さを解消するためのワープロ・ソフトの開発という形で本格化した。

1983年、高知システム開発は、長谷川式6点漢字入力機能を搭載した「AOKワープロ」を、NEC・PC−8801対応で発売した。

このワープロ・システムでは、6点漢字による入力ができるのに併せて、外付けの音声合成装置によって入力の音声によるフィードバックや書いた文書を連続的に読み上げさせる機能を日本で初めて実現した。

これにより、6点漢字を知っていさえすれば、目が見えなくても文書が書けるという環境が完成した。

AOKワープロを追いかけるようにして、1984年〜1985年にかけて、6点漢字表現をフルキー入力できるようにした「エポックライター音訓」、8点式の漢点字入力を採用した「チノワード」や「BRPC」等が相次いで開発された。

これらのワープロ・システムの文字入力は、音声での漢字の詳細読みによる漢字かな変換が実用化されるまでは、いずれも漢字コードを6点式もしくは8点式の点字により直接入力するという、JISコードを直接入力するのに匹敵する方式が取られていた。

こうして、1980年代後半には、パソコンに音声合成装置を接続した方式の視覚障害者用ワープロ・システムが急速に普及した。

(3) ワープロ・システムの特徴

視覚障害者用ワープロ・システムの技術的特長は、入力部分と出力部分である。

入力に関しては、最初は6点漢字または8点式の漢点字による直接入力から始まる。

これは、一般のワープロにおいてもまだかな漢字やローマ字・漢字変換が普及していない時期にその開発が進められたからであった。

その後、かな漢字変換やローマ字・漢字返還が一般的に用いられるようになると、視覚障害者用のワープロでもこれらが用いられるようになった。

一方、出力に関しては、特別な音声合成装置をパソコンに接続し、その装置から出力される音声ガイダンスにしたがって操作するという方式が取られた。

書いた文書の確認方法としては、もっとも初期の頃には1文字ずつを6点漢字方式で読み上げるといったような手法がとられたが、まもなく文書全体を人が読むように読み上げる「滑らか読み」の技術が開発された。

また、1文字ずつの確認方法においても、一般によく用いられている熟語を例にとって漢字の文字を説明する「詳細読み」の技術が80年代後半には確立した。

この「詳細読み」技術は、かな漢字変換やローマ字・漢字変換を行う上で、必須の読み上げ技術となった。

(4) パソコンの音声化

1983年7月、当時病院で三療師として働いていた視覚障害者、斎藤正夫(現アクセステクノロジー社長)は、パソコンの画面に表示される文字をモールス信号で表現するプログラムを自作した。

これが、パソコンを何とかして視覚障害者の道具にしようとする動きの最初の成果であった。

斎藤は、8ビット・パソコンのN88−BASICの画面読みソフト、16ビット・パソコンのN88−BASICを音声化する「VDM98K」、そしてMS−DOSの画面を音声化する「VDM100」を80年代中期から後期にかけて相次いで開発した。

マイクロソフト社が80年代前半に投入したMS−DOSというOSは、パソコンを普及させるのに大変大きな役割を果たした。

この頃から、パソコン技術が視覚障害者の障害を軽減するのに役に立つに違いないという発送が目の見える技術者達の中にも徐々に広がっていった。

1980年代半ば、当時電気通信大学の講師であった小山智は、富士通のパソコンで動作する「OS−Talk」というMS−DOSの画面読みソフトを開発した。これが日本最初のMS−DOS画面読みソフトであった。

それについで、末田統(すえだ おさむ)が8点式ワープロと一緒に開発した「BRPC」、テクノメイトのドスリーダー、マイクロニクスの「音次郎」等が1985年〜1987年にかけて相次いで発表され、視覚障害者のパソコン利用において選択肢が増えてきた。

これらMS−DOS画面読みソフトの開発によって、当時一般の人達に人気のあったワープロソフト「一太郎」や表計算ソフト「ロータス」などを視覚障害者も使えるようになった。

(5) 自動音訳への挑戦

視覚障害者にとってのもう一つの大きなハンディキャップ、文字が読めないということに対しても、IT技術による解決への挑戦が行われてきている。

1978年、電子ピアノで有名な米国の発明家、レイモンド・カーツワイルは、英語の印刷物をガラス面の上に乗せてその内容を合成音で読み上げる機器「カーツワイル朗読機」を発表した。

日本では、1983年より5年間のプロジェクトで、通産省が巨費を投じて、NECとアンリツに開発委託するという形で、日本語自動朗読システムの開発が取り組まれた。

これが日本における最初の読書機への挑戦であったが、残念ながらこの開発は実用化されなかった。

1990年代に入ると、OCR技術が進歩し、富士電気、富士通、三洋電機等からOCRの専用機が300〜400万円程度の価格帯で商品化されるようになった。

このような技術的バックグラウンドを活かして、1992年には、拓殖大学と横浜市立盲学校の協同研究による「達訓(たっくん)」が自動朗読システムとして発売された。

一方、同じ頃、日本障害者雇用促進協会は印刷物からの朗読及び自動点訳システムを開発し、これを用いて、視覚障害者を雇用している雇用主向けにサービスを開始した。

上記の2つのシステムは、いずれも、富士電機のOCR「XP−70S」を用い、音声システムとしてはNECのPC−9801とMS−DOS音声化ソフト「やまびこ」を機軸にしたものを採用したものであった。

1993年11月、オーストラリアのロボトロン社が日本語読書機「エスプリ」を開発し、アメディアから160万円で販売を開始した。

しかしながら、上記の「達訓」と「エスプリ」は販売されているとはいうものの、いずれも100万円以上の高額製品であり、一般の視覚障害者が手に入れることのできるものではなかった。

1995年にマイクロソフト社からWindows95が発売されると、これまでよりも1ランク上の技術基盤をベースに開発が行われるようになったため、視覚障害者のための朗読システム開発の上では、大きな分岐点となった。

アメディアは、1996年9月に、これまで販売していた「エスプリ」に替えて、パソコンを用いた読書システム「ヨメール」を発売した。

これは、パソコンを含むシステム価格が40〜50万円程度に抑えられ、かつ認識精度や音声の聞きやすさも大幅に改善されていたため、個人の視覚障害者に受け入れられるようになった。

一方、「達訓」の販売を行っていたタウ技研は、同年11月に、パソコン用読書ソフト「よみとも」を発売した。

これも価格、認識精度、音声において個人の視覚障害者に十分受け入れられるものとなった。

しかしながら、紙に書かれた文字を認識するOCR技術は、現在も発展途上段階にあり、かすれた文字、色で装飾された文字、形で装飾された文字、大きさの異なる文字が混在している文書など、まだまだ解決すべき課題は少なくない。

よって、この分野の製品は、今でも各社ともに随時機能アップ版を投入している。

(6) パソコン通信とインターネット

1980年代の後半になってMS−DOSが定着してくると、パソコン通信を趣味とする人々が徐々に増えてくる。

パソコン通信というのは、1つのコンピュータをホストとしてデータを蓄積し、会員となった人達が同じホスト・コンピュータにアクセスして情報やデータを共有するという仕組みである。

しかしながら、この仕組みは、趣味でははやったが、業務ではあまり用いられなかった。

1995年にWindows95が発売されると、目の見える人々の世界では、ホームページや電子メールといったインターネット系のサービスの利用が急激に増え始め、パソコン通信は徐々に後退していく。

インターネットは、ホスト・コンピュータ同士がお互いにリンクしあい、ユーザーは自分が契約したホスト・コンピュータを通して、世界中のホスト・コンピュータに蓄積されたデータにアクセスできるという仕組みである。

MS−DOSとパソコン通信、Windowsとインターネットは、パソコン史においてはほぼ対になっていると考えてもよい。

そのような事情から、世の中がWindowsに変わった直後は、視覚障害者はインターネットが利用できず、目の見える人々との情報格差が一時的に大きく広がった。

しかしながら、1997年11月に日本IBMから「ホームページ・リーダー」が発売され、ようやく視覚障害者もWindowsベースでホームページから情報を得ることができるようになった。

電子メールに関しては、Windowsベースでの視覚障害者向けのものの登場はやや遅れたが、1999年春に発表された「MMMAIL」を皮切りに、使い勝手の良いものが続々と登場している。

(7) スクリーンリーダーの進歩

上記(1)〜(4)で紹介したように、1990年代前半はMS−DOSの画面読みソフトがかなり充実した状況になっており、視覚障害者のパソコン利用者はその恩恵に大きくあずかっていた。

ところが、1995年にマイクロソフト社からWindows95が発売されると、個人をはじめ企業までもがこの新たなOSをMS−DOSに差し替えて導入し始めた。

WindowsはGUIと言って画面に表示されるグラフィカルな情報を手がかりに操作するシステムで、目の見える人達にとっては、これまでのコマンドを入力しなければ操作できないMS−DOSとは異なり、直感的に操作できるとても便利なシステムとして一気に受け入れられた。

一方、視覚障害者にとっては、グラフィカルに情報を提示することが標準となったWindowsの利用は当初はほとんど困難だと思われた。

当時労働省の外郭団体である障害者職業総合センターは、この状況を早急に打開すべく、Windowsの画面情報を読み上げるソフトウェア「95Reader」を開発した。

そして、このソフトウェアは、システムソリューションセンター栃木(SSCT)から、1996年11月に発売され、視覚障害者がWindowsを音声を頼りに操作する最初の環境が構築された。

このように、画面に表示された情報を音声で読み上げるソフトウェアを総称して「スクリーンリーダー」と呼ぶようになった。

その後、1998年夏に高知システム開発から「PC−Talker」が発売され、さらに2001年4月には米国で開発され世界でもっとも評判の高い「JAWS」という製品の日本語対応版が日本IBMから発売されるにいたった。

これらのスクリーンリーダーは、視覚障害者が職場で目の見える同僚達が用いるのと同じソフトウェア環境を利用することを可能にしたものであり、視覚障害者の業務遂行にとって必須のアイタムとなっている。

(8) 画面拡大ソフトの変遷

MS−DOSが主流の時代には、やはり特別なハードウェアとセットで画面の表示を拡大するものがあったが、ハードウェアが高価なため、あまり多くは普及しなかった。

Windowsが主流の時代に入ると、スクリーンリーダーと同様、画面拡大をソフトウェアのみで行うようになった。

現在では、NECから画面拡大ソフト「ZOOMTEXT」が販売されており、多くの強度の弱視者に利用されている。

一方、ユニバーサル・デザインの社会的潮流に呼応すべく、マイクロソフト社はWindowsそのものに利用者自身が画面の拡大率や配色などを細かく調整できる「ユーザー補助」と呼ばれる機能を搭載した。

軽度の弱視者にとっては、この機能を適切に用いることにより、パソコン操作がかなり楽にできるようになっている。

(望月優)

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1-2 現状

 ここでは、現在視覚障害者がITを用いることによりどのようなことができるか、また、現状どのような物があるのかを説明して行く。

ここで紹介するものは、すべての視覚障害者が使用できるわけではなく、トレーニングが必要なものも含まれている。

情報障害と言われる視覚障害者に取って、このIT利用は、仕事の上に置いて、様々な可能性を生み出している。

(1)スクリーンリーダーによるOSの音声化

パソコンを使用する上では「Windows XP」、「Windows2000」、「Macintosh」、「Linux」など、OSと呼ばれる基本ソフトウェアが組み込まれている必要がある。

この「OS」を使うことができないと、パソコンの目的のソフトを起動したり、電源を切ることもできない。

国内では現在約5種類のOSを音声化するためのソフトウェアが発売されている。

国内で最初に発売された「95Reader」を始め、「PC-Talker」、「VDMW300」、「WinVoice」、「JAWS」の5種類である。

これらは、いずれもマイクロソフト社のWindows系のOSを音声化するためのソフトウェアである。

「Macintosh」用のスクリーンリーダーは国内では販売されていない。

また、「Linux」を使用するためにはいろいろな工夫が必要となる。

上記のようなOSの音声化ソフトにより、mouseを使うことなく、キーボードで音で確認しながら、ソフトの起動と終了、文字入力、漢字変換などが可能となっている。そして、この主のソフトウェアを「スクリーンリーダー」と呼ぶ。

漢字には同じ音でも様々な意味がある。

例えば「音」という漢字を入力するとスピーカーから「おんがくのおん おと」のように発生され、正しい漢字かどうか確認することが可能である。

5種類のスクリーンリーダーにはそれぞれ特徴があり、業務の目的や使用する視覚障害者のパソコン習熟度、視力の状態により、適切なものを選ぶ必要がある。

また、場合によっては、複数の音声化ソフトウェアを入れ、切替ながら使うような工夫もなされている。

これらのソフトウェアは、OSの基本的な部分を音声化しているに過ぎず、目的に応じて利用しているスクリーンリーダーと相性の良いソフトウェアを組み合わせる必要が出てくる。

つまり、スクリーンリーダーのみを購入したとしても、目的の作業ができるとは限らないのである。

(2)ワープロとしての利用

仕事のもっとも基本となるのは文書を書くことである。

この作業はワープロ・ソフトを用いることにより視覚障害者も可能となる。

先に挙げたスクリーンリーダー5種類は、ビジネスの中で多く使われている、「Microsoft word」に対応している。

つまり、一般の方が使用している「word」をスクリーンリーダーを用いて、使うことができる。

もう一つの代表的なワープロソフト「一太郎」はスクリーンリーダーの音声化は不十分のため、実用的に使うことは難しい状況になっている。

この「Microsoft word」を使用しての文書作成は可能だが、スクリーンリーダーの種類によっては、表の作成など、一部できることに制限がある。

また、視覚障害者専用のワープロソフトも発売されている。

視覚に訴えることの多い「表や図など」をこの専用ワープロソフトを使うことにより、視覚障害者でもより効率よく作成することが可能となっている。

しかし、「word」とはファイル保存の形式が異なるため、「表や図」のデータの共有はできない。

(3)メールの利用

ビジネスでは、社員間の仕事のやり取り、部下への仕事の指示など、言葉で伝えるだけでなく、文字による明確な伝達方法が必要となる。

視覚障害者は紙のメモを読むことができない。

一方、仕事を指示する側は点字によるメモを渡すことができない。

口頭で指示するだけでは、曖昧な部分が出てしまったり、記録に残らないため言った言わないの問題になる恐れもある。

これを解決するのが「電子メール」である。

現在職場ではかなりメールが利用されている。

本調査アンケートからも、その実態を知ることができる。

この「メール」は視覚障害者に取ってはとても重要な情報伝達手段である。

一般的にメール・ソフトとして「Microsoft outlook」が利用されていることが多い。

しかし、このソフトに完全に対応したスクリーンリーダーは現在の所「JAWS」のみとなっている。

一方、視覚障害者の利用を念頭においた使いやすいメールソフトも複数販売されている。

これらのソフトウエァは視覚障害者の作業効率を確保できるため非常に有用であるが、職場のメールシステムによっては、使用できないこともある。

セキュリティを考慮して職場で用いることのできるメール・ソフトを限定するような場合がしばしば見られるからである。

ただ、企業にとっては視覚障害者の業務効率を無視することはできないので、メールソフトの選択に当たっては、システム管理者を交えて十分に協議する必要があろう。

(4)インターネットの利用

健常者は雑誌、新聞などから様々な情報の取得が可能である。

しかし、情報障害と言われる視覚障害者に取って、この「情報取得」が正に困難である。

日常的な事柄であれば、テレビやラジオから取ることは可能であるが、仕事に必要な情報となると、やはり専門雑誌や新聞などの情報は不可欠で、これを克服しないと、仕事をすることはできない。

この「情報不足」を補う手段として第三者に雑誌などを朗読してもらい、それを聞く方法と、インターネットから情報を取得する方法とがある。

どちらも時と場合により、必要なことである。

リアルタイムな情報は「インターネット」による情報取得が早く、本人がより深く勉強する上においては、専門書などを図書館などに依頼、朗読してもらうという、アナログ的な要素も重要である。

インターネットを利用する場合、各スクリーンリーダーでかなりの部分まで操作が可能である。しかし、グラフィカルな情報や複雑な表のページなど、読むことのできないページもある。

また、視覚障害者用に開発された「ホームページ閲覧ソフト」も販売されている。

「ホームページリーダー」や「ボイスサーフィン」といった商品がこれに該当する。

スクリーンリーダーより効率的にページが読めるように工夫されているのが特徴である。

(5)OCRの利用

視覚障害者に取って「電子メール」や「インターネット」など、電子化された情報は自力で読むことができ、情報取得には大変有意義である。

しかし、紙の情報をすべて電子化するのは難しい場合もある。

他の部署から回った回覧文書など、電子掲示板を利用している会社もあるが、紙で回覧している職場もまだ多く見受けられる。

「OCRソフト」はこの「紙の情報」を「文字認識」という技術を用いて、電子化するものである。

この電子化された情報を視覚障害者は音声で確認することにより、内容を理解することができる。 

簡単に記すと、「自動朗読装置」である。

新聞のような複雑なレイアウトのものを読むことは困難だが、通常の1枚ものの活字印刷物や文庫本などはかなり性格に読み上げることができる。

一人暮らしをしている視覚障害者は、郵便物の読み上げなどに広く使用している。

(6)表計算の利用

実際の業務の中では「データ分析」や「シュミレーション」、「報告書の作成」などといった作業が必要である。

もちろん「ワープロソフト」である程度までは可能だが、限界もある。特に、「分析」や「シュミレーション」などは数値を与えて、その結果がどのように変化をするのか、見て行く必要がある。

そこで、よく利用されるのが「Microsoft Excel」である。この「Excel」はほとんどのスクリーンリーダーで対応している。

表の作成や決められた表に対しての数値の記入など、独力で十分操作可能である。

しかし、グラフの作成など自力では若干難しいものもある。

(7)グループウエアの利用

「情報の共有」という意味で、グループウエアを導入し、そこで一括管理をしている企業も多くある。

このグループウエアにも何種類かあるが、現在視覚障害者が利用可能なものは「notes」で、スクリーンリーダーは「JAWS」を用いた場合と限定される。

逆に、「notes」を導入している職場では、この「JAWS」を使用することにより、情報取得が可能と言える。

しかし、この「JAWS」は操作が難しく、トレーニングが必要である。

また、「notes」も職場により、様々にカスタマイズされているため、職場で用いられている環境での「notes」と「jaws」との組み合わせによる実地訓練が必要であろう。

(8)その他ビジネスソフトの利用

職種によっては「プレゼンテーション」が必要な場合がある。

一般的には「powerPoint」が多く使われている。

グループウエアでも紹介した「JAWS」を利用することにより、「powerPoint」も音声での利用が可能となり、独力でプレゼンテーションも可能である。

専門的な職種では、データベースソフト「access」を利用することもある。

これもスクリーンリーダーとして「JAWS」を利用することにより、音声化が可能となっている。

このように、スクリーンリーダーと業務に必要なソフトウェアとの適切な組み合わせにより、視覚障害者もある範囲まで独力で仕事が可能となる。

この他にも視覚障害者の業務を支援するソフトウェアや機器として、「画面拡大ソフト」、画面の情報を点字で確認できる「点字ディスプレイ」、情報を点字印刷するための「点字プリンタ」などがある。

このように様々なソフトや機器の導入により、「視覚」のハンディーを補うことが可能となっている。

これら機器導入に当たっては、職場環境、仕事の内容、本人の障害の程度、本人が受けてきたリハビリテーションの内容などを総合的に考え、決定する必要がある。

機器を揃えたからと言って、必ずしも効果的な業務ができるとは限らない。機器やソフトウェアの機能と本人のスキルとがマッチしてはじめてその威力を発揮するからだ。

その意味で、IT機器及びソフトウェアの導入に当たっては、業務を行う本人を交えて、専門の施設、または会社に相談することが重要である。

(荒川明宏)

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