日盲社協通信 令和3年(2021年)4月号(通巻82号)

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日盲社協通信 令和3年(2021年)4月号(通巻82号)
編集人:福山博   発行人:舛尾政美
発行所:社会福祉法人 日本盲人社会福祉施設協議会(日盲社協)
National Council of the Agencies of the Welfare for the Blind (NCAWB)
http://www.ncawb.org/

もくじ
コロナ禍に学び、新しい時代を迎える準備を 理事長 舛尾政美
コロナ禍に思う 常務理事 長岡雄一
仕事の変革 常務理事 荒川明宏
(誌上慶祝会)髙橋實さんの「第57回点字毎日文化賞」の受賞を祝し、我がことのように喜ぶ
 日盲社協名誉会長・聖明福祉協会会長 本間昭雄
 「毎日社会福祉顕彰」受賞おめでとうございます 岡山ライトハウス点字出版所長 志水克典
杉江勝憲氏の「瑞宝双光章」受賞を祝す 東京視覚障害者生活支援センター所長長岡雄一
柳鉄志氏の「旭日単光章」受賞を祝す 石川県視覚障害者協会理事長・石川県視覚障害者情報文化センター所長 米島芳文
高梨憲司氏の叙勲を祝して 視覚障害者総合支援センターちば 高橋恵子
第69回全国盲人福祉施設大会はオンラインで開催
わが施設の今 第5回 ヘレン・ケラー学院 東京ヘレン・ケラー協会理事長兼ヘレン・ケラー学院長 奥村博史
特集 東日本大震災から10年の教訓 視覚障害者の現状を踏まえて求められる
災害対策 日本盲人福祉委員会評議員・災害担当 加藤俊和
令和2年度情報化対応支援者研修会 ―― 相談支援コース・基礎 ――
堺市立健康福祉プラザ視覚聴覚障害者センター 原田敦史
令和2年度情報化対応支援者研修会 ―― 第11回情報機器コース ――
日本ライトハウス情報文化センター 松本一寛
令和2年度情報化対応支援者研修会 ―― 相談支援コース・応用 ――
堺市立健康福祉プラザ視覚聴覚障害者センター 原田敦史
<訃報>和田勉氏の死を悼む 日本点字委員会委員・東京点字出版所職員 白井康晴 21
日盲社協事務局だより/編集後記

    コロナ禍に学び、新しい時代を迎える準備を
    理事長 舛尾 政美
 2020年、東京オリンピック・パラリンピックを延期に追い込んだ新型コロナウイルスは新年度を迎えてもなお収束が見えない状況です。しかも、昨今は台風や豪雨、それに地震など全国各地で災害が続きました。
 前年度を振り返ってみると、6月に滋賀県彦根市で開催予定の「第68回全国盲人福祉施設大会」を中止としました。新型コロナウイルスが全国各地に広がった影響で滋賀県視障協が1年の月日と多くの経費を費やして準備し、全国の皆さんが期待した大会でしたが、大変残念なことでした。
 11月に開催を計画していた「第21回点字技能検定試験」は、委員の皆さんに諸準備を進めていただきながらウイルスの広がりの影響で安全性の確保が困難となり、やむなく中止とせざるを得ませんでした。さらに各部会の研修会等もリモートあるいは中止となり、これまでに例を見ない事態となりました。
ただ、こうした困難な状況下でも福祉推進運動は着々と成果を上げています。
 視覚障害者の職業を守る運動では、視覚障害者の伝統的職業であるあん摩マッサージの業権を守る運動を続けており、医療学園が国を相手にあん摩師等法の一部を変え晴眼者のあん摩マッサージ師の養成所を増やせるように裁判で法を変えるべく争っています。これに対して我々は国側が勝訴するよう署名運動や募金運動、あるいは全国各地で街頭運動などを続けています。このたび大阪・東京・仙台の三つの地裁で勝訴することが出来たのは喜ばしいことです。
 また情報サービス部会が国に働きかけていた点字図書館の事業の対象者の範囲が視覚障害者だけでなく、他の障害者にも広げられたことも喜ばしいことであります。さらに同行援護事業が通勤にも利用できる可能性が見えてきたことも福祉推進運動の大きな成果といえるでしょう。
 しかしながら今後残る問題もいくつかあります。中でも養護盲老人ホームの措置控えは、全国各地に広がっており、倒産・破産が続くのではないかと心配されます。今後我々は盲老人ホームの措置控えが早急に改善されるように、国や市町村に強力な運動を進める必要があります。
 同行援護事業についても通勤の利用が認められるような明るい兆しは見られるものの、同行援護事業所の廃止や倒産が全国的に広がっています。一日も早く改善されるよう強力な運動が必要です。
新年度においてもコロナウイルスの収束はなお時間を要するものと考えます。
 常務理事会や理事会などテレビ会議の形で行うことが可能であり、大会や研修会・講習会などをリモートで行えば合理化を進めることができます。発想の転換と工夫により積極的な実践を重ねながら強い覚悟でコロナ後の新しい時代を迎える準備を進めることができればと願っております。

    コロナ禍に思う
    常務理事 長岡 雄一
 すでに東京では桜の開花宣言が出されました。3月もまだ中旬です。
 昨年に引き続き、今年も心置きなくお花見が楽しめるという状況ではなくなりました。東京では、2度目の緊急事態宣言期間が延長となり、2カ月以上に渡ることになりました。しかし、社会福祉関係施設は、感染防止に努めながら、事業を継続することを求められています。日常生活を支える、社会生活を支えることが役割であり、使命とする福祉施設が事業の休止を行うことは、たしかに社会インフラの観点からも望ましくはないと思えます。ただ一方で、使命感や精神論だけで、この難局に立ち向かえというような指示はいかがなものかとも思います。
 東京都新宿区で福祉施設職員対象のPCR検査を実施したのは、今年になってからです。しかも、1回限りでした。あとは、各施設の「自助」ということになるのでしょうか。職員は、皆、私生活にも大きな制限を強いられています。利用者に感染させてはいけないとの気持ちは、非常に大きなものです。通所施設だから安全で、入所施設では危険だという論法も当てはまりません。通所施設では、外部からの訪問者を断ることはできません。利用者自身が外部からの訪問者なのですから。たしかに「クラスター」という観点からは、入所施設の危険性は高いでしょうが、感染するのは個である利用者なのですから、「クラスター」が発生する確率が低いからと、対応をおろそかにすることはできません。
 このコロナの感染拡大の結果、ZoomやMicrosoft Teamsを使用した情報共有や会議等は一気に進みました。一気に進んだことは意味のあることだとは思いますが、よく「戦争があると、科学技術が一気に進歩する」の類の論なのかとも思います。戦争にしろ、感染にしろ、必ず被害に遭われた方がいる訳です。そうした方々に思いを馳せると、決して声高に社会が進んだとは言えないのです。それは、ある意味、暴論に走る危険性があるとも言えるのです。
 自粛だったり、今までにはないような制限がある日々の生活の中で、イライラ感や持って行き場のない怒りや無力感を忘れてしまおうとして、無理やりポディティブな面を強調することは、実は非常に危険なことではないかと感じています。言葉は悪いですが、「この機に乗じて」何かを成し遂げようとする雰囲気を非常に感じるのです。
 私たち、福祉施設に勤務する者にとって、今、何が一番大切なのか。決して「この機に乗じて」ではない、本来の自らの立ち位置を確認する作業をとおしてのみ得られるものを再度、見つめることが重要なことなのではないでしょうか。
 病床の状況が安定していようがいまいが、とにかく感染しないことが一番です。次に病床の保証でしょう。本末転倒の議論にならないようにしたいものです。

    仕事の変革
    常務理事 荒川 明宏
 新型コロナウイルスが広まり、1年が経過しました。
 この1年間、緊急事態宣言などもあり、仕事では様様な工夫が行われたものと思います。Zoomによるミーティングはその代表的なものでしょう。
 今回はそれ以外に、ラビットで取り組んだ2点について紹介します。なにかの参考になればと思います。

  1.クラウド化
 今まで管理表などはネットワークハードディスクを利用し、各個人のパソコンからアクセスしていました。しかし、テレワークや直行直帰が増えることにより、業務に支障を来しました。そこで導入したのがクラウドデータベースである「kintone」です。入退出の管理表や体温管理など、Excelで管理していた内容をそのままkintoneに置き換えました。これにより、スマホやタブレットでも外出先からアクセス出来るようになり、利便性がかなり向上しました。kintoneは自由にデータを設計できるデータベースで、エクセルで簡単なマクロなどを書くことが出来る人であれば設定可能です。また、実際に利用するユーザは、ホームページを使用する事が出来れば少しの学習で利用可能となります。
 また、「Google WorkSpace」を導入することにより、「GoogleDrive」が使用出来るようになります。ドキュメントやPDFの書類も、外出先からスマホ、タブレットでも見る事ができます。受信したFAXデータを自動的にGoogleDriveに保存されるように設定すれば、どこからでもFAXの内容が確認できます。また、パソコンが急に壊れてもデータはパソコン内にないため、簡単に再現可能です。

  2.クラウド交換機
続いて社内の電話交換機をクラウド交換機に変更しました。
 テレワークでの一番の問題点は電話に出ることができないことです。また、折り返しの電話も自分の携帯電話の番号から発信すると、プライベイトと仕事の区別が付きにくくなります。
 クラウド交換機もいろいろな会社がサービスを行っています。値段も様々です。ラビットでは視覚障害者の使い勝手が悪くならないように、「ナイセンクラウド」というサービスを導入しました。テレワークを行っている自宅に有線LANで電話機を設置し、まるで職場と同じような状態で電話を受けたり、発信することができます。
 また、外出が多い社員には、携帯電話を配布していましたがこれを廃止し、個人が持っているスマホにアプリを入れ、外出先で使用するようにしました。外出先の人にも内線を転送でき、これにより自由な働き方が可能となりました。(株式会社ラビット代表取締役)

      誌上慶祝会
    髙橋實さんの「第57回点字毎日文化賞」の受賞を祝し、我がことのように喜ぶ
    日盲社協名誉会長・聖明福祉協会会長 本間 昭雄
 毎年晩秋になると、「今年の点毎文化賞は誰が受賞するだろう」という声があちらこちらできかれます。
 ジャーナリストになりたいと、就職浪人をしてまでその道を求められ、定年になるまで健筆を振るった髙橋さんが、卒寿の年にこの賞を受賞されました。今回の受賞はこの上なく名誉なことです。心から祝福したいと思います。
 1963年、点字毎日の事業を賞賛して、日本文学振興会から「菊池寛賞」が送られました。そのことを機に創設されたのが、点字毎日文化賞であることは皆さんご承知の通りです。この賞をかつて受賞された本間一夫先生が次のようなことを言われたのを思い起こします。
 すなわち「多くの賞を受賞しましたが、点字毎日文化賞は特別な意味があり、とっても嬉しいです」と。いわゆる盲界の指導者で、それぞれ文化・芸術・教育など幅広い分野で大きな功績を残した方々は、皆さんこの賞を受賞されています。
 髙橋さんは後輩のため一途に走り続けた人。それを支えたのは、やはり次子夫人あってのことだと思います。半分は、次子さんに贈られた賞と言ってもいいのではないでしょうか。彼との間で、60年に及ぶ交友が続いたことはとても嬉しく、美文は書けなくとも過去を振り返りつつ、心からの祝福のメッセージを送ります。
 我々の大先輩である熊谷鉄太郎は、「盲人はいかに第三者の目をうまく活用するかで成功・不成功が決まる。社会的に立派な仕事をした盲人は、この第三者の目を皆上手に活用した人たちである。私たちはこの第三の目を社会眼と呼んでいる」と言われました。髙橋さんは、見事に多くの仲間、支援者の目を集めた人でした。
 「人生百年時代」と言われ始めました。髙橋さんには、今後ともペンの力で社会眼を集め、盲界と社会を導いて頂くとともに、残された命を楽しみつつも、盲界があらぬ方向へ向かわぬよう暖かく見守って頂くことを望みます。

    「毎日社会福祉顕彰」受賞おめでとうございます
    岡山ライトハウス点字出版所所長 志水克典
 この度、第50回毎日社会福祉顕彰を岡山ライトハウス竹内昌彦理事長が受賞されました。発展途上国の支援を行っている認定NPO法人「ヒカリカナタ基金」理事長としての竹内氏の長期にわたる熱心な活動が認められ、大変喜ばしく思っております。
 竹内氏は、1945年2月中国生まれ。第2次世界大戦末期から戦後の混乱の中での栄養状態の不良と疾病により失明されました。そのためもあり、氏は常々より平和・人権の大切さを語っておられました。
 小学校2年まで地元の小学校に在籍、その後岡山盲学校に転校し、専攻科卒業。東京教育大学で理療科教員免許を取得し、母校の教師として赴任されました。情熱的で生徒ファーストという思い、納得ができないことには管理職にも臆せずに意見をぶつけておられました。私が氏に出会ったのは、1980年4月、岡山盲学校の教師として採用された時でした。豪放磊落でありながら、細やかな配慮ができる方で、教頭を最後に退職されるまで大変お世話になりました。
 氏は、命の大切さ、障害者に対する理解など、人権に関する講演会を長年行ってこられました。岡山弁を交えた軽妙な語り口と体験を基にした重厚な内容は多くの人たちに感動と障害者に対する理解を広げました。初めは岡山県内を中心にしていたものが、現在では全国からの要請があります。また、半生やその時々の活動を記録した書籍も数冊執筆されています。そしてこの講演料や印税を発展途上国の視覚障害者のために役立てようと考えられました。
 初めは、視覚障害者が自立する手段がほとんどないモンゴルにマッサージ師養成校を作る活動に取り組まれ、2011年に学校が完成し、「手に職をもてる」と喜ばれています。また、2015年にキルギスに視覚障害者の生活訓練施設を作りました。
 一方、日本では簡単にできる白内障の手術が発展途上国では困難であることを知り、この子どもたちに手術を受けさせることができる資金を集める活動にも取り組まれました。その中で、「希望の光がはるかかなたまで届くように」と2017年にヒカリカナタ基金を設立。現在では認定NPO法人となっています。これまでにモンゴル、キルギス、ネパール、ミャンマー、カンボジアなどで329人の子どもたちの視力を回復させています。
 このほかにも本法人理事長、日視連評議員、点字ブロックを守る会会長など、幅広い活動をされています。今後もますます活躍してくださることを期待しております。

    杉江勝憲氏の「瑞宝双光章」受賞を祝す
    東京視覚障害者生活支援センター所長 長岡雄一
 まずは、杉江勝憲さん。令和2年春の叙勲、おめでとうございます。本来ならば、もっと早くにお祝いを申し上げなくてはならなかったのですが、遅れてしまったこと、申し訳ない思いです。
 さて、杉江さんが視覚障害者の生活訓練で、そのキャリアを開始され、理療教育という伝統的な職業教育に身を置かれ、さらには新たな職域開発を目指す分野へと進まれたこと、非常に意義深いものだと思っております。
 私自身は大きな流れでは、杉江さんの後を追いかけている訳ですが、理療教育についてはまったくの門外漢であり、せいぜい「門前の小僧、習わぬ……」の類にもなっていないこと残念でなりません。
 もう少し、理療教育についても何らかの関りを持てていたら、杉江さんのご苦労などももっと共感を持つことができたのではないか。さらに、さまざまな局面でいただいてきた杉江さんからの貴重なアドバイスを、自分の中でもっと十分に消化ができていたのではないかとも思われるのです。
 理療教育の責任者を務めていらっしゃった時は、たぶん障害者総合支援法によるサービス提供が始まり、制度改革の中の現場という難しさも経験されたと聞いています。
 さらには、国立の施設という、経営についてあまり心配がいらないと思われる施設から、常に経営について気を配り、エネルギーを割かなくてはならない民間施設へ転身し、そこで、経営手腕を発揮されている現状を、その施設の評議員という立場から拝見させていただくと、今の自分の施設運営の未熟さを大いに反省しなくてはならないと思っています。
 今回の新型コロナウィルスの感染拡大に伴う施設運営の難しさは、どの施設にも共通していることですが、さらに、施設にはそれぞれの施設が持つさまざまな課題があります。視覚障害者の就労の分野で、常に先頭を歩んでいる日本視覚障害者職能開発センターにも当然、そうした課題があるのだと推察されます。
 常務理事として先頭に立って、課題解決や発展に力を注がれることは大変なことだとは思いますが、この受賞を契機に、さらに視覚障害者の就労環境の進歩に尽力される背中を私達に見せていただけることを願ってやみません。

    柳鉄志氏の「旭日単光章」受賞を祝す
    石川県視覚障害者協会理事長・石川県視覚障害者情報文化センター所長 米島 芳文
 令和2年秋の叙勲で、社会福祉法人石川県視覚障害者協会副理事長で、金沢市視覚障害者協会会長の柳鉄志氏(73歳)が、旭日単光章を授章されました。
石川県金沢市在住の柳鉄志氏は、誠実にして、温厚かつ真面目な人柄です。
 会員一人ひとりの声を拾い上げ、役職員の先頭に立って視覚障害者の福祉の向上に日夜奔走しているなど、その人柄から接する人すべてに深く慕われ、信望極めて篤い方です。
昭和43年3月富山県立盲学校高等部専攻科を卒業後、昭和43年4月に大阪府の松山鍼灸院に1年間勤務されました。そして、翌昭和44年4月には東京都の永井鍼灸接骨院に勤務され、あん摩マッサージ指圧師、はり師およびきゅう師として鍼灸臨床技能の研鑽に2年間励まれました。この大阪と東京における3年間が、同氏のいわば修業時代ということがいえましょう。
 そして満を持して、昭和46年5月に石川県金沢市において、地域の人たちの臨床鍼灸を重視した柳鍼灸院を開業して、現在に至っておられます。
 昭和48年4月から平成12年3月まで金沢市視覚障害者協会の理事として、平成12年4月から平成18年3月まで同協会副会長、平成18年4月からは同協会会長として会の発展に尽力されてこられました。
 また、平成4年4月から平成12年3月まで石川県視覚障害者協会の評議員として、平成12年4月から平成22年3月まで同法人の理事として、さらに平成22年4月から現在まで同法人の副理事長として、視覚障害者の自立と社会参加、地域福祉の向上に多大な貢献をされておられます。
 視覚障害者に対する情報提供活動など防災福祉の推進や、協会の事業運営に係る企画にも積極的に取り組まれ、会員の拡大にも成果を上げておられます。
 特に、特定非営利活動法人金沢市視覚障害者地域生活支援センターの設立に奔走され、視覚障害者の就労継続支援事業をはじめ、移動支援事業等も大きな成果をあげられ現在に至っています。
 平成8年5月にはそれらの功績により、石川県知事表彰を受賞されています。

    高梨憲司氏の叙勲を祝して
    視覚障害者総合支援センターちば 高橋恵子
 高梨憲司氏は、昨年秋の叙勲において瑞宝単光章を受章され、11月5日(木)に千葉県庁で執り行われた勲章の伝達式に、奥様とともに臨まれました。
 10年余りの間、同じ職場で部下の立場で働き、今も氏が副理事長を務める千葉市視覚障害者協会に身を置くものとして心からの祝意を表するとともに、受章に至った業績の一端をご紹介いたします。
 氏は1949年1月生まれの72歳で、千葉県南房総市出身。大学卒業後に社会福祉法人愛光に入職され、視覚障害者総合支援センターちば所長をはじめ、施設長を歴任し、長年にわたり施設運営と法人経営に当たられました。
 その間に立ち上げられた中途視覚障害者自立生活訓練等事業や同行援護従業者養成研修事業などは、今日に引き継がれており、千葉県における視覚障害者の自立と社会参加を支える制度づくりに貢献されました。
 また、他県に先駆けて施行された「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」の制定に尽力され、現在も千葉市障害に関する諮問機関において委員長や会長の重責を担っておられます。
 さらに、懸命に生きる障害者の姿を伝える役目を果たそうと、1984年から千葉市内を中心に、小中学校などで福祉教育や講演会を始められ、訪れた学校はこれまで100校以上になるとのことです。受章を報じた『読売新聞』の記事からは「特別なことはしていないけれど、妻が喜ぶ姿を見て少しずつ実感がわいた」と控えめに受章を喜んでおられる様子が窺えました。
 最後に、以前に氏が講演・執筆された原稿からごく一部を引用させていただき、ご紹介の締めくくりといたします。
 「周囲の人たちに障害を知っていただかなければ、なかなか社会は変わっていきません。知っていただくのには、誰が知らしめるのかと言ったら、当事者しかいないわけです」(日本網膜色素変性症協会『あぁるぴぃ千葉県支部だより』48号より)
 「‘視覚障害’という属性がプラスされています。一般の人には少ない属性である以上、私はこれをプラスとして活かしつつ普通に生きること、それを人生の最大の目標として生きてきました。そして今、残り少なくなった人生を共生社会の実現のために燃やし尽くしたいと考えています」 (『NHK障害福祉賞50年 ―― 受賞者のその後』より)

    第69回全国盲人福祉施設大会はオンラインで開催
 日盲社協は、3月11日(木)Zoomを活用したオンライン理事会で、今年度の全国盲人福祉施設大会を、下記のように開催することを決定した。
 日時:令和3(2021)年9月または10月の1日のみ(調整中)
 主催:日盲社協法人本部
 昨年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の蔓延により、予定されていた第68回全国盲人福祉施設大会・滋賀大会を急遽中止せざるを得なかった。
 その教訓を活かして、今年はなんとしても大会を成功させるために、二重三重の安全策を講じて、オンラインでの大会を計画している。
 内容は、まず事前に5部会(点字出版部会、情報サービス部会、自立支援施設部会、生活施設部会、盲人用具部会)に、オンライン等により事業部会を開催してもらい、その発表を行う。
 次いで慶應義塾大学大学院教授による「AIの目指すもの」をテーマにした研修会(講演)を開催する。
 最後に式典で、主催者と来賓によるあいさつ、ボランティアと援護功労者に対する感謝状贈呈、永年勤続職員に対する表彰状贈呈、「アピール」と「大会決議」の採択を行う計画である。
なお、「受賞ボランティア懇談会」は実施しない。

    大会日程
 以下、時間 事業内容の順
 12:00~13:00 受付/Zoom接続準備
 13:00~13:10 開会式・オリエンテーション
 13:10~14:10 各事業部会発表
 14:20~15:30 研修会:テーマ「AIの目指すもの」慶應義塾大学大学院教授
 15:40~16:40 式典:表彰、来賓祝辞、アピール文採択、決議文採択、閉会

    わが施設の今 第5回ヘレン・ケラー学院
    東京ヘレン・ケラー協会理事長兼ヘレン・ケラー学院長 奥村博史
 東京都新宿区大久保三丁目にある東京ヘレン・ケラー協会は昨年、創立70周年を迎えました。成り立ちを振り返りながら、現況をご紹介したいと思います。
 当協会はその名の通り、ヘレン・ケラー女史(1880~1968年)と深い関わりがあります。女史が再来日した1948年、59日間に及ぶ列島各地での交流を後押ししたのは、毎日新聞社が中心となって結成したヘレン・ケラー・キャンペーン委員会(H・K・C委員会)でした。
 委員には、後に当協会の初代理事長となる高橋龍太郎・日本商工会議所会頭ら各界の要人が就き、顧問には、芦田均首相や衆参両院議長らが名を連ね、さまざまな事業や募金活動を展開しました。
 それらは大反響を呼び、2年後の1950年、H・K・C委員会は、集まった浄財をもとに東西に二つの財団を設立し、解散しました。その時にできた「東日本ヘレン・ケラー財団」が当協会の前身です。女史が名誉総裁を引き受けてくれました。以来、女史の博愛精神を高く掲げ、視覚障害者の自立支援ひと筋に総合福祉施設として活動を続けています。
 設立当初からの事業であるあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師を養成するヘレン・ケラー学院は、昨年度までに計1968人の卒業・修了生を送り出しました。また、1968年に点字出版所を、1974年に点字図書館を開設。1982年からは海外盲人交流事業も行っています。
 今、抱える深刻な問題に建物の老朽化があります。本館は当初、1937年の女史初来日を機に建設された東京盲人会館を1951年に増築・改修した建物でした。
 その後、老朽化に加え台風被害もあって、敷地約1600平方㍍のうち半分を毎日新聞社に売却し、1967年に建て直した鉄筋コンクリート3階一部2階建てが現本館です。2013年に耐震工事はしましたが昨夏、築50年以上たって傷みの激しい外壁などを部分改修しました。早晩、建て替えを検討せざるを得ないでしょう。
 都市は時代とともに大きく変貌しますが、高齢者や障害者にとって、より優しい街へと進化しなければなりません。当協会が地域のノーマライゼーションのシンボルのような存在となる未来を描きながら、活動していきたいと思います。

    特集 東日本大震災から10年の教訓
    視覚障害者の現状を踏まえて求められる災害対策
    日本盲人福祉委員会評議員・災害担当 加藤俊和
 東日本大震災から10年、その間にも、熊本地震や大阪北部地震、北海道胆振東部地震、そして毎年のように台風や豪雨が広範囲に日本列島を襲っている。
 東日本大震災では、初めて日本盲人福祉委員会(日盲委)による組織的な被災地の幅広い視覚障害者への支援が行われた。熊本地震においてはそれが迅速に行われ、後に続くネットワークも構築されたことで、日盲委の災害支援活動は高く評価されている。その支援活動は、全国視覚障害者情報提供施設協会(全視情協)と視覚障害リハビリテーション協会(視覚リハ協)が支えていたが、日盲社協各施設および職員と関係者がその中心となっていたことはあまり知られていない。
 これらの災害支援の中で、多くの視覚障害者が様々な支援を必要としていたことが明らかになったが、同時に、支援が必要なのに私たちが見つけることができていない多数の視覚障害者が存在していたことも明確になった。新型コロナが自然災害の支援にも大きな影響を及ぼしているいま、東日本大震災等で被災視覚障害者をいかに支えようとしてきたかを検証し、これからの災害支援のあり方について考えたい。

  1.多くの施設の協力を求めて
  (1)支援体制の中心をどこに置くか
 2011年3月11日、未曾有の東日本大震災が発生した。十数メートルもの高さの津波が広範囲に人々を襲い、死者数がどんどん増えていく報道が続いた。電話がほとんど通じず、現地にも入れず、視覚障害者の状況もまったく分からなかったが、甚大な被害だけは免れた各県の点字図書館および日本盲導犬協会の仙台訓練所の職員は、まずは利用者の状況を把握しようと努力を重ねていた。
 そのような中で、視覚障害者の支援を何とかしようと、直後から連絡を取り合っていた点字図書館や視覚障害リハ関係者が、発災1週間後に東京に集まり、災害支援の取り組みが始まったが、どこが中心になって視覚障害者の災害支援を行うのかが議論になった。
 6,434人が犠牲になった1995年の阪神淡路大震災においては、当時の日本ライトハウス盲人情報文化センター(日ラ情文)館長の川越利信氏が発災後すぐに任意団体「ハビー」を立ち上げて活動を開始し、大災害時に視覚障害者を本格的に支援した最初の活動となった。
 それが成果をあげたのは、神戸市から近い日ラ情文を本部にできたこと、兵庫県下の被災地の視覚障害者の多くが日ラ情文の利用者であり、視覚障害リハビリテーションの先駆的な施設であった日ラのリハセンター利用者も多かったこと、そして、竹下義樹弁護士の強い働きかけで神戸市のリストの閲覧も3週間後に実現するなどの条件がそろったことが大きい。
 作業も、日ラ情文の職員が中心になって被災地の視覚障害者リストデータが一元化され、200人を超える多くのボランティアを集めての活動となった。ただ、視覚障害リハの専門家の参加はわずかにとどまり、組織としてもまとまりを欠いたことなどが課題として残った。
 東日本大震災のときの東北の視覚障害者の状況においては、阪神淡路大震災から16年が過ぎて個人情報の扱いが非常に厳しくなっていた。東北地方の点字図書館はすべて県立であり、任意団体の「ハビー」に日ラ等から個人情報を含む情報提供がされたようなことはあり得ず、支援が滞ることは明らかであった。また、東北の視覚障害リハ活動もかなり弱く、日本盲導犬協会の仙台訓練所が東北全域を担っていたものの、被災沿岸部の視覚障害者の把握にはほど遠かった。そのため、災害支援を行う中心団体をどうするのがよいのかを早急に決定して支援する必要があった。

  (2)なぜ、支援体制の基盤が日盲委か
 支援の組織について、最も強力な当事者団体である日本盲人会連合(日盲連、現・日視連)の下に置くのがよいとの意見が大勢となっていた。しかし一方では、支援者を直接有しているわけではない当事者団体としての限界もあるので、リハから情報まで5部会で活動する日盲社協にという意見も多かったが、「そこまで期待できるだろうか」、との意見も出された。その中で筆者だけが、今回は日本盲人福祉委員会(日盲委)が支援の中心になるべきだと主張し続けた。それには次のような背景があった。
 大正時代から視覚障害者運動の先駆者であった岩橋武夫・鳥居篤治郎の両氏が各方面に働きかけて戦後まもない1948年に日盲連を創設し、1953年には日盲連と車の両輪とも言われる日盲社協を設立した。岩橋氏が死去し、二代目日盲連会長として後を継いだ鳥居氏は、京都府立盲学校の副校長でもあり、障害当事者の日盲連、福祉界の日盲社協、さらに教育界の盲学校長会と3分野を統合して、1956(昭和31)年に社会福祉法人日本盲人福祉委員会を設立した。このような広範囲をまとめる組織は日盲委のみであり、各省庁に強く働きかけて数多くの成果をあげ、当時の日本の視覚障害者全体の福祉の向上に大きく寄与する団体となった。1970年代以降は、世界的な当事者重視の中で視覚障害者関係の活動は日盲連が中心となっている。そのため、今では日盲委を日盲連の下部機関であるかのように思う人もいるが誤解である。
 災害支援においては、支援を必要とする視覚障害者を迅速に把握する必要があるが容易ではない。「避難行動要支援者(災害時要援護者)」のリストの整備が進められているが、事実上「同意」が前提なので実際に登録された障害者の実数は(手帳登録数に対して)1、2割程度の地域もよくあり、災害時に迅速な利用に結びついていない。そのため、実際の災害時の支援においては、どの障害者関係もまずは団体加盟者が中心になるが、その加盟率は1割にすら達しているかどうかという状況にある。障害者が利用する施設等のリストも有力な手段であるがそんなに多くはない。そのような中で、視覚障害者においては、点字図書館の利用者は全体の2割程度にも達しており、災害時にはその利用者リストの入手が初期支援のカギとなる。
 東日本大震災においても、まずは各県立点字図書館利用者リストの入手が不可欠であり、行政などの諸機関と早急に折衝する必要があった。日盲委は三分野を統合する社会福祉法人として歴史的にも十分な実績がある社会福祉法人であるため、行政担当者が視覚障害者福祉の状況についてあまりご存じなくても信頼していただきやすく、かなり早く効果を上げることができた。

  (3)支援対策本部を日盲委に設置
 発災1週間後の3月18日の有志の集まりでは支援の中心を日盲委とする方向で働きかけることになり、当時、日盲委理事長だった笹川吉彦氏に要望し、3月末に開催された日盲委理事会で東日本大震災視覚障害者支援対策本部の設置が決定された。4月19日に開催された第1回対策本部会議で全視情協と視覚リハ協も災害支援団体として加わり、日盲委としての支援の組織化が確立した。
 なお、日盲委が支援の中心となることが明確になった3月下旬には全視情協と視覚リハ協はともに、日盲委の下に支援活動を行うことを組織決定していた。私は一ボランティアの立場ではあったが日盲委の対策本部事務局長として活動することになった。
 日盲委の決定に先行してではあったが、神奈川県ライトセンター元所長の白崎正彦氏とともに、やっと被災3県に入ることが可能になった3月24日に、満員の夜行バスで私は福島県と宮城県へ、白崎氏は岩手県へ向かい、各県の行政機関や団体等との事前折衝に当たった。やはり視覚障害関係団体すら日盲委をほとんど知らず、用意していた日盲委を紹介する文書をも活用してご理解いただき、支援の拠点の確保やリストの入手の折衝などの準備を始めることができた。
 なお、筆者は、点訳奉仕を始めた高校生の頃、1961年に開設されたばかりの京都ライトハウス点字図書館を訪ねて、創設者の鳥居篤治郎氏に無謀にもお会いしてお話を伺っていた。その後も機会あるごとに日盲委のことも含めてお教えいただき、私にとっては幅広く視覚障害者支援活動を続ける原点となった。

  2.支援に多くの施設が協力
  (1)初期支援活動に取り組む
 3月末に日盲委が理事会決定して、すぐに4月始めには、災害のスペシャリストでもある岐阜アソシアの棚橋公郎氏が先行して岩手県に入って避難所を回り始めた。その中で、「視覚障害者がおられるはずなのにほとんど見つからない」という連絡を受け、視覚障害者団体とともに各県等と折衝して岩手・宮城・福島の点字図書館の利用者リストの入手を急いだ。
 平行して、支援者の受け入れ準備を進め、4月7日に、視覚障害者支援に必要な多数の有資格者が加わっている視覚リハ協のメーリングリストなどで支援者の募集をした結果、全国から歩行訓練士や相談員など延べ50名に参加していただき、現地の支援に当たった。特に東北全域の視覚障害者を対象にリハビリテーション事業を展開していた日本盲導犬協会からは全面的な支援を受けることができた。大きな被害のなかった仙台訓練所を現地支援の本部とすることができただけでなく、仙台以外の施設からも多数派遣され、支援者の半数は同協会職員の方々であった。このほか現地に入られた各施設の中でも、日本ライトハウスからは4名も来ていただいたほか、複数の支援者の施設は、京都ライトハウス、岐阜アソシア、静岡視障支援センター、そのほか、附属盲学校や宮城教育大学からも複数来られるなど、全国の多くの施設・団体・機関の専門的な知識のある方々に現地支援していただくことができた。
 4月半ばには3県の点字図書館を利用している沿岸部視覚障害者586人と連絡をとり、何らかの支援の必要な236人の訪問支援を行ったが、この数は障害者関係でもずば抜けて多かった。4月25日に仙台で各県担当責任者等の会議を開催した。多くの支援員も連日の支援で疲労もピークに達しており、実質的な直接支援はここで一旦終了となる、はずであった。

  (2)支援の範囲大きく広がる
 そのような中、「事件」が起きた。2011年4月20日付『毎日新聞』夕刊に「宮城県が個人情報保護の観点から、日盲委に氏名や住所などを提供しないため、多くの視覚障害者が震災で失ったつえや音声機器を補充できないまま、避難生活を強いられている」という、大きな記事が出たのだ。
 すぐに全体責任者だった筆者は厚労省に呼び出され、「行政は精一杯活動しているのにどういうことか」と詰問され、状況を説明するとともに、今後の対応を共に検討していくことになった。
 その結果、厚労省の役職者と一緒に3県を回ることができ、各県の協力も取り付けた。ただ、一旦収束となって、支援員のさらなる確保は既に困難な状況にあり、宮城県では県のリストを元に担当者といっしょに被災視覚障害者を回ることも実現したが一部にとどまった。

  (3)連絡は県、支援は日盲委の方式
 宮城県の担当者と現地責任者だった原田敦史氏(現・堺市立健康福祉プラザ点字図書館長)との間で、おもしろい方式がひねり出された。宮城県は個人情報を提供しない代わりに県から被災地の1・2級の視覚障害者全員に郵送をする。その中身は、「災害の支援の依頼は日盲委へ」とし、連絡先は直接日盲委へする、というものであった。点字図書館の利用もしていない多数の中途視覚障害者は点字も音声も対応できないので、ターゲットは高齢者も多いご家族となる。そのため、できるだけ分かりやすく「音声時計やラジオを提供します」などとし、返信も容易なようにハガキもFAX用紙も入れ、白崎氏と私は神奈川で徹夜で簡易印刷で刷り上げ宮城県庁に送った。そして現地担当者が発送も手伝い、宮城県庁から被災した市町村の視覚障害者へ1100通を発送できたのは6月17日だった。県庁の担当者は、もう発災後3か月も過ぎて支援もされているだろうから連絡は数十人だろうと言っていた。
 ところが、直後から電話が鳴り始め、日盲委にも多数の返信ハガキが届いて、最終的には3分の1以上の402人もの方々から支援の要望が寄せられた。その多くは音声時計やラジオ、白杖などの物品の依頼であったが、切実な状況も縷々綴られていた。
 宮城県という一つの行政機関が始めると政令都市も含めてあとは、岩手県、仙台市、福島県と続き、多くの支援の要望が日盲委に寄せられた。最も遅れてしまったいわき市からの発送は2012年2月末と、1年近くもあととなったにも関わらず、白杖だけでも40件以上、他の要望も含めて310件もの支援の要望を受けた。待ち受ける行政ではなく、十分支援してくれる日盲委に期待が集まった例と言えよう。
 最終的に岩手・宮城・福島3県の沿岸部を中心とした被災地に住んでおられた1・2級の視覚障害者への連絡・郵送の合計は3961人、そのうち支援が必要な人への訪問・物品送付など支援の合計は1455人(36%)にも達し、視覚障害への支援の範囲は、他の障害の支援範囲の10倍以上という幅広い支援となった。

  3.東日本大震災の教訓を活かす
  (1)熊本地震の支援に生きる教訓
 2016年4月16日、「阪神淡路」と同じ震度7という前震と本震によって、熊本県益城町を始め周辺地域は大きな被害を受けた。日盲委として東日本大震災の支援に当たった全視情協や視覚リハ協のメンバーがすぐに連絡を取って動いた。17日には、熊本点字図書館がすぐに協力し、現地の拠点として決定すると共に、九州にいた災害支援の経験者に現地に入ってもらった。そして翌18日には視覚障害者団体および熊本県点字図書館とともに日盲委として熊本県と折衝を始め、障害者手帳の1・2級リストを入手して、多くの盲学校教員の助力も得るとともに、災害支援者の募集を始めて、延べ30人の専門家が支援した。
 この迅速さと確実な支援は高い評価を受けた。日本障害者協議会(JD)が熊本地震の支援に入ったのは、日盲委の初期支援が既に終ろうとする5月半ばであったし、視覚障害者のリストとともに出された聴覚障害者のリストは支援体制がなく活用できなかったと聞いている。

  (2)日盲委の災害支援体制の整備進む
 東日本大震災が起こったとき、初めて日盲委に支援対策本部が設置された。その後、日盲委としての災害支援体制のための規程等を始めとする準備は進み、経費の迅速な支出についても規定された。
 実際に大災害が起こったときただちに対応できるようにまだ検討が必要であるが、「大災害時に支援の指揮系統が即稼働して諸団体と連携し迅速な支援ができる」ように具体的な準備を進めつつある。

  (3)災害時に必要な視覚障害専門家とは
 視覚障害者の災害支援には、視覚障害者の様々な特性や状況を知り、相談支援ができる専門性のほか、情報入手の手段や支援機器等の知識と操作ができることなどの専門性が必要である。そのため、東日本大震災からは、「視覚障害者の相談支援ができること」を初期支援の条件として支援員を募集しており、東日本大震災と熊本地震のときは、全国の歩行訓練士など相談支援の専門家に呼びかけて募集を行った。その中には、障害者相談支援員、歩行訓練や生活訓練の指導員、介護支援員、そして眼科医や視能訓練士などが含まれる。

  4.配慮が必要な中途視覚障害者
  (1)把握されていない存在
 身体障害者手帳を保持する視覚障害者の約8割は、視覚障害者団体に属さず点字図書館とも結びついていない。その多くは、中高年から視覚障害となった人々であり、寿命が延びる中でさらに増加しつつある。
 晴眼者は日常生活に必要な情報の8割以上を眼に頼りきっているが、何十年も眼に頼りきりで生きてきた人が視覚を失っていくと、もちろん急には聴覚や触覚を頼りにして生活する訓練ができておらず、「全てのことが何もできない」状態になりがちである。
 個人差は非常に大きいが、失明を受け入れられない状態が10年以上続く人もめずらしくない。そのような人々の多くは、普段の生活の中でも、周囲に対して視覚障害者であることを隠そうとする。それは、このような姿を知られたくない、という思いが強いからであり、回りに迷惑をかけたくないという気持ちもある。
 これらの方々の多くは、「見て生活してきた」ので、聞いて覚える習慣はなく、身障者手帳をもらったときに様々な情報を聞いていたとしても、記憶にとどめることが難しく、多くの人に福祉情報が何も伝わっていないことが多いのが現状である。
 宮城県から日盲委に支援を求めた人から連絡があったとき、「音の出る時計ってあるの?」「拡大読書機とはレンズの大きいもの?」などという質問が相次いだ。
 そこで、宮城県の初期の支援要望者 300人への聞き取り調査を行った結果、「音声時計を知らない」が43%もあり、「日常生活用具制度を知らない・使ったことがない」も56%あった。一方、全盲者に必携であるはずの「白杖がほしい」という要望すら4分の1に達していて、支援を受けていなかった人が非常に多いことが明らかになった。
 この「音声時計を知らない人」が4割もいたことは、関係者に大きな衝撃を与えた。また、これらの身体障害者手帳の所持者に対して行政から「必要な情報をどのように伝えるのか」は重要な課題となり、日視連でも要求に掲げた。

  (2)中途視覚障害者への伝え方
 “視覚障害者にまだなりきれていない方方”は「見て理解する晴眼者」とあまり変わらない状態にある。そのため、資料を読んでもらって聞いて記憶していく、ということに慣れていないため、「音の出る時計が安くもらえます」など短く強調して伝えることで何とか記憶にとどめてもらう必要がある。
 行政から郵送した資料においても、点字やテープを利用されていない多くの方々に“鮮明に記憶でき、確実に伝わる”ように「ここだけを本人に読んでください!」とした。支援要望についてもだれかに書いてもらうため、連絡用のはがきやFAX用紙も同封した。このような工夫もしたので、行政担当者がびっくりした“予期しない多さの支援の要望”が日盲委に寄せられたのであった。
 以上、東日本大震災から10年、その支援がどのように行われたのかを中心に探ったが、日本という災害列島に生きている私たちにとっては、当事者も支援者も組織も、いつでも起こりうる大きい災害にしっかりと向き合い、それぞれの役割を果たしていく必要があることを改めて思った。

    令和2年度情報化対応支援者研修会
    ―― 相談支援コース・基礎 ――
    堺市立健康福祉プラザ視覚聴覚障害者センター 原田敦史
 日盲社協情報サービス部会(岡本博美部会長)は、今回で4回目となる日盲社協関係施設や盲学校等の職員やボランティアで、初心者または基礎を学びなおしたい方向けの「相談支援コース・基礎」研修会を、当初は令和2年11月に、大阪市内の施設に、参加者全員が実際に集まって開催することを計画していた。しかし、新型コロナウイルスによる影響を受けてやむなく延期せざるを得なかった。
 そこで令和3年1月14日(木)・15日(金)、令和2年度情報化対応支援者研修会「相談支援コース・基礎」のタイトルで、Zoomを活用したオンライン研修会として開催した。

  第1日目(1月14日)
 講義1は、仲泊聡(ネクストビジョン)による「視覚障害とは 眼疾患(最新の研究、治療)・身体障害者手帳について」
 講義2は、住吉葉月(神戸アイライト協会)による「視覚障害リハビリテーションとは視覚障害者リハビリテーションの歴史と必要性」
 講義3は、原田美貴(日本ライトハウス情報文化センター)による「視覚障害者が利用できるサービス 補装具・日常生活用具の申請、その他のグッズ」
 講義4は、田中雅之(名古屋市リハビリテーションセンター)による「視覚障害者によくある困りごととその解決法 見え方・疾患での異なる問題点」

  第2日目(1月15日)
 講義5は、田中桂子(神戸アイセンター病院)による「相談の基本技術 インテークの重要性、傾聴・時間管理、電話での相談」
講義6は、原田敦史(堺市立健康福祉プラザ)による「ワークショップ」
講義7は、原田敦史(堺市立健康福祉プラザ)による「理解度確認」
 オンラインになったことで申し込みが増え、定員20人を上回る申し込みをいただいた。そこで急遽定員を増やして参加者を28人とし、北は青森県から南は福岡県まで全国からご参加いただいた。研修会の受付は先着順であるためお断りするケースもかなり出てしまったので、次回はぜひお早めにお申し込みいただければと思う。
 参加者は窓口や電話等で実際に視覚障害者の相談に携わっている方、専門的には携わっていないが話を聞く場面があるという方など様々であった。
 講義内容は、基礎ということで視覚障害について、日常生活用具の知識、見えにくい人のよくある困りごと等、支援する立場であれば知っておきたい基礎知識を中心に実施した。
改めて勉強になったという感想もあり、日々の業務に活かしてもらいたいと思っている。

    令和2年度情報化対応支援者研修会
    ―― 第11回情報機器コース ――
    日本ライトハウス情報文化センター 松本 一寛
 日盲社協情報サービス部会は、2月3日から3日間、Zoomを活用したオンラインで、標記研修会を受講者は35団体47人で実施した。参加定員は30人だったが、オンライン研修会だったので、受付期限内に申し込まれた方すべてに受講してもらった。

  第1日目(2月3日)
 講義1は、阪井紀夫(徳島県立障がい者交流プラザ視聴覚障がい者支援センター)による「PC-Talkerを使ったZoom活用法!」
 コロナ禍でさまざまなイベントや行事・交流会などでZoomが活用されている。そこで最も普及しているスクリーンリーダーのPC-Talkerを利用して、視覚障害者がZoomを活用するための設定やミーティングに参加する手順について解説した。
 講義2は、渡辺明(川崎市視覚障害者情報文化センター)による「iPhoneの初期設定」
 iPhoneが発売されて14年、日本語に対応してから12年が経過し、視覚障害者向けに必要と思われる設定やその方法も少しずつアップデートしてきている。そこで今回は、iPhoneの購入時の初期設定としておさえておきたいポイントをアクセシビリティ、キーボード、ロービジョン向けなど項目ごとにその理由も含めて解説した。

  第2日目(2月4日)
 講義3は、井上直也(MDSiサポート)による「iPhoneの文字入力」
 iPhoneを利用するに当たって視覚障害者最大の課題は文字入力だ。そこで入力法の種類とキーボードの選択、指のスライドの練習方法。入力は10文字からなど初心者が達成感を得られる目標設定など、すぐに実践できる内容を解説した。
講義4は、品川博之による「iPhone(ボイスオーバー)を使ったZoom活用法!」。
 iPhoneを活用してZoomミーティングを開催したり参加する方法を解説。Zoomアプリの概要、ミーティングに参加する手順や参加中の操作を実演を交えながら解説。また、講義の内容を自動的に字幕表示する機能を有効にして、具体的に紹介した。
講義5は、野地美行(福島県点字図書館)による「iPhone活用」。
 視覚障害者のiPhone利用者が増加する中、現在のトレンドを押さえ日常生活を便利で豊かにしてくれる手助けになるアプリが数多くあることを紹介した。
 講義6は、松本一寛(日本ライトハウス情報文化センター)による「Edge、Chrome、NetReaderNeoブラウザ比較」。
 視覚障害者もWindows10への乗り換えが本格的に進みインターネットエクスプローラー以外の利用者も増えているので、ブラウザ比較をテーマとした。というのは高知システムのソフトがライセンス制に移行し、情報通信支援用具で申請できるソフトも従来より減らす必要が出てきたためだ。
 一般的なブラウザを視覚障害者がどこまで利用できるのか、メリットやデメリットを交えて紹介した。

  第3日目(2月5日)
 講義7は、松本一寛(日本ライトハウス情報文化センター)による「音声読書器比較」
 現在販売されている音声読書器をPCソフト、iPhoneアプリ、カメラ型・スキャン型専用機器、ウェアラブル端末という分類で区別し、その特徴や性能を比較しながら一挙に紹介した。
 講義は、事前に動画を撮影し、画面共有機能を使用してコメントを添えるという手法で進行した。一つ一つの細かい特徴までは紹介できなかったが、基本となる音声読書機能の現状を知ってもらうことで、利用者支援の際に活かせるものとした。
 講義8は、山村友梨子(視覚障害者生活情報センターぎふ)を司会に「情報交換」を行った。
 オンライン研修会を通して参加者同士の交流・情報交換がしづらいこともあり、参加者の声を聞くという意味合いも込めて研修会の感想を一人ずつ発言してもらった。
 iPhoneの文字入力支援に苦悩されていた参加者から、今回の講義で文字入力支援の際の目標設定のポイントを知ることができてよかったという声が多くあり、共通の課題であるとあらためて感じた。
 また、オンライン研修会を今後も続けてほしいという声が多数上がる中、実機を触れる会場開催の要望もあり、今後の検討課題となりそうである。
 その他、講習の内容としてロービジョン支援やAndroidスマートホン、スマートスピーカー、電子書籍などについての講義の要望などが述べられていたので、来年度以降の参考にしたい。

  まとめ
 実技ではなく、座学が主体だったため、接続トラブルはほとんどなく3日間の研修会を終えることができた。急逝された岡田弥委員長不在の中、最大限の準備をしようという思いで、スタッフが一丸となり綿密に接続テストを重ねた成果が出たのだと思う。
 研修会の内容としては、コロナ禍に入ってから注目されているZoom、視覚障害情報機器の中心となってきているiPhoneを中心に研修会を構成して開催した。
 トレンドのZoom、iPhoneの利用支援で課題になる初期設定や文字入力にスポットを当てた講義は参加者に好評だった。
 また、各施設でなかなか性能を比較する環境がないということで、音声読書器比較は、研修会ならではのテーマであった。
 コロナ禍の影響を受けてのことではあったが、オンラインで開催したことで現地開催だと参加が難しい施設の職員の方々も多く参加してくださったことを考えると、今後の研修会の実施方法を検討していくうえで大きな収穫だったと思われる。
 今回はスタッフ・講師がそれぞれ別会場から参加して連携して講義を進行したが、可能であればスタッフ・講師は同一会場に集合して運営できるとよりスムーズな運営ができるように感じた。
 研修会の基本軸を視覚障害情報機器支援の初歩に据えつつ、最新トレンドも押さえる内容も引き続き盛り込んで進めていく方針を続け、実技的要素を盛り込んだ研修会を来年度は計画していきたい。

    令和2年度情報化対応支援者研修会
    ―― 相談支援コース・応用 ――
    堺市立健康福祉プラザ視覚聴覚障害者センター 原田敦史
 日盲社協情報サービス部会は2月18(木)・19日(金)、今年度で3回目となる標記研修会を、Zoomを活用したオンラインで青森県から福岡県までの参加者17人で開催した。

  第1日目(2月18日)
 講義1は、清水智子(日本視覚障害者団体連合)による「相談者の身の守り方 セルフケアについて 支援者の健康管理」
 講義2は、白潟仁(システムギアビジョン)による「最新機器、最新情報提供(拡大機器を中心に)」
 講義3は、道面由利香(横浜訓盲院生活訓練センター)による「相談者が求めること ニーズの把握を事例報告から」
 講義4は、荒川和子(NPO法人目と心の健康相談室)による「記録の取り方、まとめ方 基本情報の収集と記載方法」

  第2日目(2月19日)
 講義5は、原田敦史(堺市立健康福祉プラザ)による「演習1 聞き上手になるための実践演習」
 講義6は、金井政紀(日本盲導犬協会)による「盲導犬について 申請方法、取得基準等について」
 講義7は、中津大介(東京視覚障害者生活支援センター)による「演習2 ケースの情報をもとに実践演習」
 講義8は、清水智子(日本視覚障害者団体連合会)による「理解度確認・意見交換・修了式」
 今回はオンラインでの開催となったので参加しやすかったのか、基礎と応用を連続で受講された方も多かった。
 講義内容は支援者の身の守り方、相談者が求めること、相談の演習、最新の情報で支援者が知っていてほしいことをレクチャーした。
 最新機器の情報は実演もありよかったという感想があった。窓口で最新の情報を提供できることは大切なので、ぜひ多くの方に受講いただければと思う。

  オンラインによる開催について
 オンラインのマイナス部分として、相互交流ができないことがある。そこで、少人数で分かれて話すプログラムを採用し、お互いが話す時間も取ることでカバーするようにした。
 今回は資料の提供やアンケートも含めてオンラインで実施したが、事務処理面でも効率的になり、少ない委員で運営するには非常にいい方法だと実感した。
 参加者による感想も「従来の対面方式であれば参加できなかったが、移動がないので、今回は参加できた」、「ここまでできると思わなかった」、「スムーズに受講できた」、というようなオンライン開催に好意的なものが多かった。

    <訃報>和田勉氏の死を悼む
    日本点字委員会委員・東京点字出版所職員 白井康晴
 2021年が明け、わたしが初出社したのは1月5日でした。所長にあいさつに行くと「和田さんのこと聞いた?」との思いがけない一言。和田さんは既に重病の床にあり、午後に亡くなりました。
 非常にびっくりしました。その6日前の12月29日に日本点字委員会(日点委)では、和田さんが設定してくださったオンライン座談会を行っており、いつもどおりに話していたのです。
 ご家族とゆっくり年越しされたことでしょうが、1月2日の午後に倒れられ、意識が戻らないまま逝かれたとのことです。
 和田勉さんは大学で英米文学を専攻され、社会人になってからも演劇をやられていたという、文学青年だったようです。
 そんな和田さんが1991年から日本点字図書館(日点)に勤める中で、点字や点図の表示方法に興味を持たれ、その研究は、博士号が授与されるまでに成りました。
 2000年前後からは公共空間での点字表示や触地図、包装容器の点字表示等に関する企画標準化のお仕事などもされるようになり、国際会議にもしばしば参加されています。日点の「ふれる博物館」の発案者でもあります。
 日本盲人福祉委員会の「視覚障害者選挙情報支援プロジェクト」では、日点の職員として、総務省や政党事務所などに出向いたり、選挙公報の原稿集めに何度となく奔走してくださいました。
 2016年から事務局長を務めた日点委では、表記法への見やすいUDフォントの採用、きれいな点図の写真の入った書籍発行の実現、墨字版・点字版の両電子版発行、共催事業の「点字制定130周年記念大会」の開催等、次々と新しいことを実現してくださいました。
 仕事には妥協を許さず、そのためかいつも追われている感じでした。タンタンとされているイメージの和田さんですが、涙もろい面もあり、周りの人に優しく、気を使われる方でした。家族のこともよく気にされていました。
 図書制作部長という要職を務める56歳中場での突然の旅立ちは、ご本人も戸惑っておられることでしょう。残念でなりませんが、どうぞ安らかにお眠りください。

    日盲社協事務局だより
  1.表彰者・受賞者情報(敬称略)
 (1)日盲社協参与髙橋實(視覚障害者支援総合センター前理事長)が第57回点字毎日文化賞を受賞
 (2)日盲社協評議員杉江勝憲(日本視覚障害者職能開発センター常務理事)が、令和2年春の叙勲で瑞宝双光章を受賞

  2.加盟施設 変更情報
 名称変更・住所変更等
 <情報サービス部会>
 神戸市立点字図書館
 新Eメールはtento-kb@with-kobe.or.jp

 <盲人用具部会>
 株式会社日本テレソフトは、令和2年11月7日に本社を移転しました。
 新住所は〒167-0034東京都杉並区桃井2-1-3 吉田ビル3階
 新TELは03-6913-5641
 新FAXは03-6913-5977

 施設長等変更 (敬称略)
 <情報サービス部会>
 兵庫県点字図書館
 新館長 大谷武(2021.01.15.~)

    編集後記
 広報委員長を引き受けて、私が最初に編集した『日盲社協通信』は、2011年11月号(通巻63号)でした。特集は「東日本大震災における視覚障害者の状況と支援」で、当時、日本盲人福祉委員会(日盲委)東日本大震災視覚障害者支援対策本部事務局長であった加藤俊和氏に寄稿していただきました。それから10年、新型コロナウイルス感染症の影響で、令和2年度は日本全国が自粛ムードとなり、日盲社協の活動もかなり制限されました。このため機関誌である小誌もその影響を強く受けざるを得ませんでした。そして今号の特集は「東日本大震災から10年の教訓」で、現在は日盲委評議員・災害担当の加藤俊和氏にご無理をお願いして、再び健筆をふるっていただきました。(福山博)

  情報提供のお願い
 本誌に対する情報提供・要望・苦情・意見・感想は、日盲社協広報委員長福山博宛、メール(fukuyama@thka.jp)等でお送りください。お待ちしております。

  『日盲社協通信』WEB版リリース
 『日盲社協通信』が、平成23年(2011年)11月号(通巻63号)から、日盲社協のホームページにアクセスして、全文を読むことができるようになりました。こちらもご高覧ください。http://www.ncawb.org/

 本誌は、教職員共済生活協同組合の助成により作成したものです。

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  2. 日盲社協通信 令和4年(2022年)7月号(通巻84号)

  3. 日盲社協通信 令和6年(2024年)5月号(通巻88号)

  4. 日盲社協通信 平成30年(2018年)4月号(通巻76号)

  5. 日盲社協通信 平成31年(2019年)4月号(通巻78号)

  6. 日盲社協通信 平成26年(2014年)11月号(通巻69号)