杉光園園長 与那嶺岩夫

著者近影

杉光園の管理運営の一翼を担って4ヶ月がたちました。

盲人ホームの存在を知ったのは「国リハあはきの会」の活動を始めた頃です。中途失明者中心のこの会は、あはき免許を取得後、臨床経験を積み、資質向上を図る場が無いのに早くから気づいていました。医師や看護婦も免許を取っただけでは使いものにならないという「社会常識」を知っていたので、こうした点に着眼して「卒後研修」の場を国に求めました。厚生労働省の職業能力開発局のある課長が、この要望への回答として、盲人ホーム制度の積極的活用を示唆しました。それを受けて私達は盲人ホームに強い関心を持ち、動き始めたのは20年も前のことです。

時あたかも、日盲社協盲人ホーム部会が全国36の施設を対象に実態調査したことを『点字毎日』が報じ、当時部会長をしておられた萩原善次郎先生に電話して、アンケート調査の資料を送ってもらいました。

印象的だったのは、その頃すでに盲人ホームが顕著な衰退を示していたことです。ただ少数とはいえ、昭和37年の厚生省社会局長通知による補助金交付を受け、きちんと活動している組織があったことに、一条の光明を見る思いでした。

どうすれば盲人ホームを「研修施設」として職業的自立の一助になる施設にできるかが当時の関心事で、大橋由昌氏など7〜8人が膝を交えて話し合った結果、「盲人ホーム活性化懇話会」を組織し、関係方面に働きかけることにしました。当事者である盲人ホームの施設長も十数人参加して厚労省に対する要望書を提出しました。それは実地指導を効果的にするための人件費の増加など十数項目にわたっており、その後、厚労省の担当部局から盲人ホームの実態調査を公に実施するための予算が組まれ、私もこれに関わりました。

盲人ホームは「支援費制度」の際にはあまり重要な対象ではありませんでしたが、障害者自立支援法制定の動きの中では、ある程度注目されました。先の盲人ホーム活性化懇話会と厚労省との折衝の際に、場合によっては盲人ホームは今後廃止の憂き目に会うかも知れないと示唆され、メンバーの一人であった石倉満行さんが後輩の担当者に強く迫り、今日、盲人ホームが事なきを得ているのはご承知のとおりです。

ところで、国は盲人ホームを「旧支援法」の中で類型化する構想を各施設長に示しましたが、その目論見は功を奏していません。盲人ホームが身体障害者福祉法の法外施設であることもあるいはネックになっているのかも知れませんが、時代の流れとともに変容したからに他なりません。

20数年前に強い関心を持ち、行動してきた身として、今の立場に因縁めいたものを感じます。いささかなりとも、杉光園の充実発展に寄与したいと思う今日この頃です。


日盲社協通信64号目次ページへ戻る