常務理事 煖エ秀夫

著者近影

コスモスが雨に打たれてうなだれ、 銀杏の実は転がり落ちて雨の滴をうけ独特な匂いを放している仲秋です。

18日と19日に第38回全国視覚障害者情報提供施設大会(愛知・名古屋大会)が名古屋駅近くのウィンクあいちで開催されました。経費削減下にあっても、不可欠な研修となれば派遣もやむを得ないと判断したのでしょうか、211名の参加者数となり、会場は熱気に包まれました。

全視情協の石川准理事長は挨拶の中で、ボランティアの点訳・音訳図書製作支援に感謝しつつ、情報収集活動の手立てとして「自炊(書籍や雑誌をイメージスキャナー等でパソコンに取り入れ、デジタルデータに変換する行為)」を利用しているとの話題提供がありました。自炊を支援する人は、無償・有償どちらのボランティアかは知りませんが、ニーズに応えるために悪戦苦闘の日々でしょう。

日頃、無償ボランティアにご支援をいただいているせいか、「有償ボランティア」と称される活動形態を耳にすると違和感を覚えます。なぜなら、ボランティアは無償で奉仕活動を行う者というイメージが浮かぶからでしょう。有償ボランティアの言辞は、1980年代に財政支出の抑制への圧力があり、通常のホームヘルパーを自治体が雇用できなくなったために、最低賃金以下の金銭的報酬が支払われる制度として導入されて誕生しました。

今日では、ボランティアに支払われる実費弁償は交通費実費の支給を指し、無償ボランティアとしての認識です。謝礼金の場合は、支給内容が不明確で解釈としては「労働」の対価と受け取られる可能性が高いと考えられます。いくら最低賃金以下でも月額が 5万円〜7万円の手取りになるとパートの賃金と同額になってしまいます。ボランティアの言辞付与に疑問が付きませんか。

1970年代はボランティアを「される側」の立場で、障害者運動が立ち上がり、「する側」と対等になるためには「無償」ではなく、行政が経済的に保障すれば(「有償ボランティアとして」)対等な「友達」関係を目指せるとの運動がありました。このことは有償にしなくても、お互いに尊重しあうことによって関係が結ばれ、そこに個々の生命も存在することに気がつけばよかったのです。

日盲社協に所属する施設は、それぞれのミッションに基づき、視覚障害者のために、福祉サービスの質を確保する働きのために存在すると設立当初から考えています。ですからミッションを理解して集まるボランティアは恒久的に「目に見えぬ報酬」を求めて歩んでほしい、「良き活動を残す」ことの喜びを感じてほしい、どのような社会を目指すのかを一緒に考えていってほしいと願っています。

 

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