(社)日本身体障がい者水泳連盟会長 河合 純一

著者近影

9月7日、日本の将来が大きく変わるかも知れません。それは2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が決定する日なのです。

去る3月4日から7日にかけて、IOC(国際オリンピック委員会)評価委員会が開催候補都市のトップバッターとして東京の視察に訪れました。東京での開催は、国内支持率の低迷という大きな課題を抱えていましたが、昨年のロンドンオリンピック・パラリンピックでの選手たちの活躍などにより、国内支持率は大きく上昇し、70%まで高まりました。

私は視覚障害(全盲クラス)のスイマーとして、1992年のバルセロナから2012年のロンドンまで6大会連続出場を果たすことができました。この間はパラリンピックにとって、激動の20年間でした。新聞の記事にもならなかった時代からテレビでも開会式、閉会式の生中継が行われ、ダイジェスト版ではありますが、毎日報道されるようにもなりました。近年ではパラリンピック以外の国内の大会についても報道されるようになり、それに伴い、多くの方々の理解が深まっていると感じています。

パラリンピックそのものも変化してきました。オリンピックとの連携が密接なものとなり、エリートスポーツとしての色合いが強まると同時に商業化の道を突き進んでもいます。

しかし、パラリンピックの父と呼ばれるグッドマン博士(英国)の「失われたものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ」という精神は今も受け継がれています。スポーツの価値の一つである己の限界を超える姿はパラリンピックにこそシンボリックに映し出されているといえるでしょう。

昨今、いじめや体罰などが社会問題化しています。この問題を解く鍵がスポーツにあると私は考えています。しかしながら、むしろこのような社会問題の根源がスポーツにあるような論調を目にする度に悲しい気持ちになっています。

スポーツは本来、自発的な活動であるべきです。決して強制的な活動ではありませんし、暴力によって上達することはありません。スポーツを通じた友情、仲間との信頼関係づくり、目標設定と達成に向けた戦略立案と実行力の醸成など、多くのライフスキルを獲得できるツールです。

このことを私たち視覚障害者がスポーツを楽しんでいくことで体現していくことが大切だと思っています。スポーツを通じて、真の公正、公平を実現していきましょう。いまだにスポーツ行政は、文部科学省と厚生労働省とに分けられたままです。スポーツ界こそ、率先して真のフェアネスとジャスティスを推進すべきです。そのためにも、私は視覚障害当事者としても、スポーツの一元化に向けて歩を進めていきます。

 

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